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映画「ゼロの焦点」の感想

映画「ゼロの焦点」は松本清張の同名の小説を映画化したものである。松本清張は戦後から社会派の推理小説家として人気を得た作家で、この映画も基本的にはミステリー映画であるが、同時に戦後の複雑な社会背景も描きこまれており、社会ドラマとしても見応えがあり、重厚な映画に仕上がっている。是非とも見る価値のある映画であると思った。

松本清張の生誕100年を記念する映画ということであるが、生誕100年といえば太宰治もそうで、少し不思議な気もするが、二人は同年代の人間ということになる。しかし、活躍した時期は完全に分かており、太宰治は早熟で松本清張が処女作を発表する前にはすでに作品を残し自殺してしまっており、一昔前の作家という感覚。これに対し松本清張は生活体験を積んだ後の人生後半から文筆活動を始めたため、我々の世代に活躍した作家という感覚である。

この小説も名前はよく知っており、映画やテレビで度々映像化されているとのこと。映画を見ればストリーを思い出すかと思ったが、まったく心配無用で、初めて見る映画のように新鮮な気持ちで見られた。以外に人間の記憶などいい加減なもので、昔のテレビドラマなど殆ど覚えていないものである。

物語は新婚早々に金沢に出張した夫が帰らなくなり、主人公(末涼子)が金沢に行き、関係者に会って事実を確かめていくことからドラマは展開するが、新たな殺人事件が起こったり、重要な事実が分かったりして、ミステリー性を徐々に高めて行く。

テレビドラマでは刑事が活躍して、真相を一気に解明することが多いが、この映画ではあくまでも、主人公がゆっくり行動するテンポに合わせて真実が分かってくるので、謎も徐々に解明される感じである。この間、私は、失踪ミステリドラマの常道であるように、夫が名前を変えてどこかで現れるのでないか、死体が見つかるのでないかなどいろいろ予想しながら見ていた。

映画は数分単位の場面で構成されるが、一つ一つの場面が戦後の時代背景にした社会派ドラマのような内容も含まれており、映画に重量感を与えている。その内、幾つかの場面ではジグゾウパズルのピースのように新しい真実が明らかにされていき、最後のクライマックスに持って行く。物語が戦後の暗い時代の話であるため、古い映像を挿入したり、北陸の荒々しい海や雪の情景そ挿入して、戦後の薄暗い雰囲気を醸し出している。汽車の中の場面などは懐かしかった。

場面設定や映像アングルも見事である。比較的、大写しで撮られることが多く、映画の大画面の強みを活かしているように思える。出演者の演技も納得いくもので、特に、広告の表紙になっている末涼子、中谷美紀、木村多江の3人の女優はその性格を見事に演じていた。個人的には特に中谷美紀の演技は気に入った。後半、アップで映し出される表情には凄みがあり、映画に引き込まれた。

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映画

映画「剣岳点の記」の感想

この映画は陸軍参謀本部陸地測量部の測量手柴崎芳太郎が地形図作成のため、日本で唯一未登頂であった剣岳の登頂を命じられ、登山する姿を描いている。原作は新田次郎。しかし、社会ドラマというよりも、登山映画という色合いが強い。半分近くが登山風景であり、剣岳周辺の美しい風景が随所に出てくる。これがこの映画の最大の見所である。

剱岳は北アルプスの立山連峰にある山で標高は2999メートル。近くの立山の方が3015メートルと高いが、登山の難易度は切り立った岩に囲まれた剣岳のほうが断然難しいようである。現在も剱岳の岩場は、谷川岳、穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられている。

また、立山連山は修験と呼ばれる山岳信仰の対象であり、映画の中でも信仰登山する人や修験行者が登場する。その中で剱岳は「針の山」として恐れられ、登山すべき山でないと信仰されていたとのことで、測量隊の案内人である宇治長次郎の立場など登山を難しくしている背景の一つになっている。

明治時代の登山の難しさを描くため、山の遭難事故となるような事象、なだれ、落石、転落、暴風など一通り描かれている。かなりリアルに描かれており、登山の困難さを想像できる。それと、考えてみれば、人が近づかない山は道がないので、確かにルートを開拓するなど大変な気がする。当時、周辺を行き来していたのは案内人になる近くの村の人や行者だけである。登る気になればこの案内人などが一番実力がありそうである。

人間性については、測量部柴崎の夫婦愛、案内人宇治の親子愛、測量部生田の初登頂の思いなどが描かれている。

この映画のドラマ的要素として、丁度この頃、日本で山岳会が結成された時期で、山岳会の小島 烏水との初登頂との競争となることであるが、競争そのものが、ルートの発見という地味な作業のため、腹の探りあいというか静かな戦いである。それに測量部の柴崎はあくまでも登山の目的は測量という姿勢を崩さないので、あまり盛り上がらない感じである。どうも、装備はヨーロッパの最新のものを輸入している山岳会の方が優れていたようである。

さて、初登頂に関しては、これは映画を見てのお楽しみということあるが、その記念のものが重要文化財に指定され、立山博物館に展示されているとのことである。

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黒石の重要伝統的建造物群保存地区「こみせ」

弘前から電車で30分ほどの距離にある黒石は黒石藩の城下町として栄えた町で、現在も重要伝統的建造物群保存地区に指定されている中町の「こみせ」通りには古い商家の町並みが残っており、非常に印象的な町である。
黒石市は弘前駅から弘南鉄道の弘南線の終点で、乗車時間は30分弱である。
黒石市は、十和田八幡平国立公園北西の玄関口に位置するところにあり、江戸時代は弘前藩から分かれた黒石藩の城下町として栄えた。

重要伝統的建造物群保存地区の中町「こみせ」

日本の道100選にも選ばれている「こみせ」通りは黒石駅から10分程歩いた距離にある。
中町にある「こみせ」通りには風格のある建物が、長い木製の軒先を出しアーケードとなっており雪国独特の雰囲気を残しており、非常に風情のある町並みである。数ある重要伝統建造物保存地区でも指折りの景観に入ると思う。

軒下の屋根を大きく外側に張り出させアーケードとしている。雪深い地方の工夫が偲ばれ興味深い建物である。

黒石の「こみせ」
黒石の「こみせ」

高橋家は江戸時代中期に立てられた津軽地方の代表的な商家で、重要文化財に指定されている。前日降った雪が解けて軒下に垂れ、風情を醸し出していた。

黒石市の高橋家
黒石市の高橋家

中村酒造に飾ってある杉玉。新酒が出来たことを知らせるためのもので、杉玉の古さによって新酒からの経過時間が分る。

黒石市の中村酒造
黒石市の中村酒造
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北東北の旅 津軽地方の旅

豪華な弘前公園の桜(改築前の写真)

弘前公園には日本一とも云えるほどの規模の桜の木が植えられている。弘前城の天守、櫓、門、濠、橋などお城の遺跡と対比した桜は素晴らしいの一言である。

弘前公園は弘前城の跡を公園にしたもので、現在も天守閣や櫓、門、濠、橋などが随所に残っている。公園の面積は東京ドームの10倍強。この広大な公園の随所に京都や吉野などから移植、育てられてきた50品種、2600本の桜の木が植えられている。どれも見事な桜の木で、見ごたえがある。

 交通の便

弘前駅から公園まで頻繁に直通バスが運行されているが、津軽フリーパスで無料で乗れるのは100円の循環バスなど路線が限定されており、多少は不便である。循環バスの乗り市役所前で降りた。ここは公園の追手門の近くで観光の中心地である。

外濠の桜

弘前公園の周りは外濠で囲まれているが、それに沿って立派な桜並木が続く。角館は枝垂れ桜が主で華麗な桜が覆いが、弘前公園の桜は巨木で豪快である。弘前に着いた日は雪で、桜が咲く中を雪が舞うという珍しい風景を見ることができた。

弘前城壕の桜
弘前城壕の桜

濠の両岸には見事な桜が植えられている。

弘前城濠の両側の桜
弘前城濠の両側の桜

次の日は曇りで桜見物も多少はよくなった。

津軽藩ねぶた村付近

公園内にも幾つかの写真の撮影ポイントがある、津軽藩ねぶた村の前の濠のところが、一つのポイントとなっており、天気が良ければ岩木山が濠に映って見えるとのこと。当日は曇り空で岩木山はあいにく雲の中、残念であった。

津軽藩ねぶた村の前の濠
津軽藩ねぶた村の前の濠

弘前城北門と桜

弘前城は江戸時代の初期に築城されてから260年間津軽藩の居城として藩政の中心となっていた。弘前城には文化財の門が5つ残っている。写真は亀甲橋と文化財の北門。建設さてた当初はこの北門が表門であった。武家屋敷の町並みはこの場所から直ぐである。桜の写真もアクセントがあると絵になる。

弘前城の北門と桜
弘前城の北門と桜

弘前城の櫓と桜

公園内にも立派な桜の木が多い。文化財の櫓をバックに撮った。弘前公園にはこのような文化財の櫓が三つ残っている。

弘前城の櫓と桜
弘前城の櫓と桜

修復以前の弘前城天守閣と桜

この風景は今後永遠に見ることが出来なくなつた。石垣が壊れる危険があるとのことで、天守閣が移動されることになつた。石垣と天守閣と周りには撮影ポイントが多くあつたが、残念。

もとは別に華麗な5層の天守閣があったが、落雷で焼失してしまった。再建しようとしたが当時の法律で天守閣の新築が禁止されていたので、やむなく隅櫓を改築して今の3層の天守閣にした。それでも、江戸時代に再建された天守閣としては東北唯一のものとのこと。

弘前城天守閣と石垣
弘前城天守閣と石垣
弘前城天守閣と桜
弘前城天守閣と桜

天守閣のある本丸は有料になっている。本丸には枝垂れ桜が多い。

弘前城の本丸公園の桜
弘前城の本丸公園の桜

堀と橋と桜

公園内に幾つかの橋があるが、濠にかかるこの橋が絵になるのである。

内堀に架かる橋と桜
内堀に架かる橋と桜

帰る頃になってようやく晴れてきた。

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北東北の旅 津軽地方の旅

弘前の素晴らしい近代建築(洋風建築)

弘前は明治時代にいち早く西洋文化を積極的に取り入れたため、多くの宣教師が来日して西洋建築を建てたとのこと。また、戦災を免れたことにより弘前には現在でも素晴らしい洋風建築や近代建築が多く残っている。

弘前公園の追手門近くの洋風建築

旧弘前市立図書館

弘前の洋風建築は津軽藩のお抱え大工の長男として生まれた棟梁 堀江佐吉が建てたものが多い。堀江は函館で洋風建築の基礎を学び、この弘前に数多く洋風建築を残している。旧弘前市立図書館は明治39年に斎藤主と堀江佐吉らが東奥義塾高校の敷地内に建てたもので、八角形の双塔を持つルネッサンス様式の建物は弘前で見た中では一番気に入った。県重宝に指定されている。
主要な建物はこの地図の範囲内にある。

旧弘前市立図書館
旧弘前市立図書館

旧東奥義塾外人教師館

旧弘前市立図書館の直ぐ横にある旧東奥義塾外人教師館も堀江佐吉の仕事である。東奥義塾は明治5年に青森県に最初に開校した私学校で、この建物は招聘した外国人宣教師のために明治34年に建てられた住宅。設計は米国のメソジスト伝道本部であるが、施工は堀江佐吉が行なっている。これも県重宝に指定されている。

旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館

青森銀行記念館

追手門から少し歩いたところに青森銀行記念館がある。この建物は明治37年に棟梁 堀江佐吉が第五十九銀行本店本館として建てたもので、重要文化財に指定されている。現在は銀行関係の資料が展示されている。

青森銀行記念館
青森銀行記念館

弘前市は文化財には指定されていないが、弘前の歴史と文化の風情を醸し出している建物を「趣のある建物」として指定している。追手門の近くには旧藤田家別邸と旧第八師団長官舎がある。
 

旧藤田家別邸洋館

旧藤田家別邸洋館は日本商工会議所の創設者である弘前市出身の藤田謙一氏の別邸として大正10年に建てられた。設計は堀江佐吉の六男の堀江金造、施工は長男の堀江彦三郎である。

藤田謙一氏の別邸
藤田謙一氏の別邸

旧第八師団長官舎

旧第八師団長官舎は堀江佐吉の長男、堀江彦三郎が設計したもので、大正6年に建てられている。

旧第八師団長官舎
旧第八師団長官舎

弘前公園の追手門近く以外の洋風建築

カトリック弘前教会

堀江佐吉の弟の堀江常吉が明治43年に建てた尖塔を持つロマネスク様式の木造建築。趣のある建物に指定されている。

カトリック弘前教会
カトリック弘前教会

石場旅館

明治12年に建てられた旅館で、白と黒のコントラストが美しい。これも「趣のある建物」に指定されている。

石場旅館
石場旅館

日本キリスト教団弘前教会

ノートルダム寺院にも似た双塔を持つゴシック様式の礼拝堂は明治40年に堀江佐吉の子、斉藤伊三郎によって建てられたもので、明治の第一級の建築として評価され、県重宝に指定されている。

日本キリスト教団弘前教会
日本キリスト教団弘前教会

日本聖公会弘前昇天教会

大正10年にJ.Mガーディナーが設計したゴシック様式のレンガ造りの美しい教会である。レンガ造り建築としても貴重であり、県重宝に指定されている。

日本聖公会弘前昇天教会
日本聖公会弘前昇天教会

百石町展示館

明治16年に宮本甚兵衛が呉服店の店舗として建てた土蔵造りの建物。その後、青森銀行の支店として使用され、平成16年からは百石町展示館として公開されている。市指定文化財となっている。

土蔵造りの旧呉服店の建物
土蔵造りの旧呉服店の建物

吉井酒造レンガ倉庫

大正14年頃建てられたレンガ造二階建の倉庫。かつては東北最大の酒造所。

吉井酒造レンガ倉庫
吉井酒造レンガ倉庫
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津軽地方の旅

迫力満点の「立ちねぷた」:五所川原

五所川原には高さ22メートルに及ぶ立佞武多(たちねぷた)の資料館がある。以前使用された3台の立佞武多が保管、展示されている。

五所川原について

五所川原はJRの五能線から入った場合、津軽観光の入口である。また、太宰治の出身地「金木」に行くための津軽鉄道の始発駅でもある。津軽において、弘前より北では最大の町である。観光資源は少ないが、立佞武多の館は見ておく価値がある。
太宰治は、叔母が五所川原に住んでいたので、小さい頃よく五所川原へ遊びに来たようだ。
太宰治は「津軽」で五所川原を次のように紹介している。

「岩木川に沿うて五所川原といふ町が在る。この地方の産物の集散地で人口も一万以上あるやうだ。青森、弘前の両市を除いて、人口一万以上の町は、この辺には他に無い。善く言へば、活気のある町であり、悪く言へば、さわがしい町である。農村の匂ひは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄がこれくらゐの小さい町にも既に幽かに忍びいつてゐる模様である。大袈裟な譬喩でわれながら閉口して申し上げるのであるが、かりに東京に例をとるならば、金木は小石川であり、五所川原は浅草、といつたやうなところでもあらうか。」

立佞武多の館

駅から徒歩5分程度のところにある立佞武多の館には五所川原のねぷた祭りで使用される大型の立ちねぷたが3台保管、展示されている。
ねぷた祭りは青森県の各地で行なわれているが、その中でも青森市、弘前市それと五所川原のねぷた祭りが有名である。規模的には青森市、弘前市が大きそうであるが、五所川原のねぷたは高さにおいて優れているようである。高いねぷたは電線があって運行できないのが普通であるが、五所川原では運行通路の電線を地中に埋め込むことで対応している。
五所川原のねぷた祭りは毎年8月4日~8日の5日間開催される。立ねぷたは立佞武多の館に展示されている大型立ねぷた3台と町内会等で作られる中小ねぷたとあわせて合計15台前後が出陣する。
ここに展示されている立ねぷたは過去のねぷた祭りに出陣したもので、毎年、1台つづ古いものから作り直されている。

下から見上げた立佞武多

下から見上げた立ねぶた
下から見上げた立ねぶた
立ねぶた1
立ねぶた

毎年テーマが決められ製作されている。

下から見上げた立ねぶた
下から見上げた立ねぶた

上から見る立佞武多

エレベータで4階まで登り、そこから螺旋状階段で、立佞武多をいろいろな高さから見ることができる。

上から見た立ねぶた
上から見た立ねぶた

下って来るに従って、印象も異なってくる。

上から見た立ねぶた
上から見た立ねぶた

写真の部分の通路が開き、立ねぷたを外に出す。

立ねぶたの出陣通路
立ねぶたの出陣通路

螺旋状階段の側面にはねぷたの資料が展示されている。写真はねぷたの骨組みの模型。

立ねぶたの構造模型
立ねぶたの構造模型

津軽フリーパス

津軽地方を周遊するのであれば津軽フリーパスが断然便利である。五能線から入って来た場合、五所川原は津軽フリーパスの入口に当たる。津軽地方のJR、津軽鉄道、弘南鉄道、弘南バス路線の一部などが2日間乗り放題で1500円と割安である。五所川原から金木を往復、弘前まで行けばほぼ元が取れる値段である。
販売されているところが北東北地方の3県(青森、秋田、岩手)に限定されているのが不便である。私は盛岡のJRの切符売場で購入したが、係りの人が普段はあまり販売しない切符らしく、マニュアルを見ながら操作していた。

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北東北の旅

角館の桜と武家屋敷の町並み

角館は重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている上・中級武士の武家屋敷の町並みが残った風情のある町である。町の各所で京都から持ち込まれたシダレザクラが立派に育成され、見事な花を咲かせている。また、近くの桧木内川には桜の木が2キロにわたって植えられており、豪快な桜のトンネルを作り出している。

角館駅から遠い武家屋敷

盛岡から角館までは秋田新幹線「こまち」で45分ほどである。「こまち」はすべて座席指定であるが、盛岡ー秋田間だけは立席特急券が発行される。行った時も通路には多くの人が立っていた。
重要伝統的建造物群保存地区の武家屋敷や桜並木のある場所は近いところでもJRの駅から600メートル程度、遠い所では1.8キロ程度離れており、単純に計算して往復するだけでも小1時間かかる。ただ、観光バスの場合は桧木内川の近くに大きな駐車場があり、観光スポットを手軽に見学できる。

角館駅で手荷物を駅のロッカーに預けたかったが既に一杯で仕方がなく担いで行くことにした。もっとも、ロッカーは近くの観光案内では空いていたようであり、カタクリ群生の郷に行ったときはここのロッカーを利用した。

重要伝統的建造物群保存地区の武家屋敷の町並み

観光地区ではあるが、比較的角館駅に近い情報センターのロッカーが空いていたので利用した。先ずは比較的観光客が少ない田町武家屋敷の辺りを見学した。この地区は昔の屋敷そのものが残っている家は少ないが、町の雰囲気を壊さないように板塀などで統一されている。桜の木は少ないが随所に、風情のある姿で植えられており、黒い板壁との対比が素晴らしい。

角館の町並み
角館の町並み

角館は秋田の久保田城を拠点とする佐竹一族と関連する藩である。佐竹一族は本家の他に有力な4家(東家、西家、南家、北家)があり、その一つの北家が角館を治めていた。

角館下新町
角館下新町

小京都の角館

1656年に佐竹氏の分家である佐竹北家の佐竹義隣が角館に入りったが、佐竹義隣は京の公家と関係が深く、二代目の佐竹義明も公家の娘を正室に迎えたことから角館には多くの京文化が移入された。以後11代明治時代まで佐竹家は続いた。枝垂桜も京都から持ち込まれた。

角館の桜
角館の桜

黒板塀の中の家の多くは一般の家や施設を囲んだものであるが、中には県や市の文化財に指定されている青柳家、石黒家、松本家など数軒の建物がある。家の中を有料で見学できる。

文化財の家
文化財の家

武家屋敷の桜

武家屋敷を構成する町は広く。主要な道路だけでも1キロ以上に及ぶ。観光地のメインである表町に近づくに従って観光客も増加してきた。武家屋敷地区の桜は殆どが枝垂桜である。どこか優美である。

表町武家屋敷。観光バスのターミナルも近く、この辺りは観光客で溢れている。桜は見事であるが、町の風情は感じられなくなる。駅からは一番遠く離れている場所となる。

角館の桜
角館の桜
角館表町
角館表町

桧木内川の桜

桧木内川堤には全長2kmに渡って400本のソメイヨシノが植えられ、武家屋敷の枝垂桜とは違った豪快な桜並木を作り出している。

桧木内川堤の桜
桧木内川堤の桜

この近くには観光バスの駐車場があり、多くの観光客がいた。

桧木内川堤の桜のトンネル
桧木内川堤の桜のトンネル
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映画

映画「マンマ・ミーア」の感想

大ヒットした同名のミュージカルが映画化されたものである。ストリーは日本人からすると少し破廉恥な内容であるが、とにかくABBAの音楽が素晴らしく、手軽に大ヒットミュージカルを見られたので理屈抜きに楽しめた。

ミュージカル「マンマ・ミーア」は1999年のロンドン公演以来、世界各国でヒットしており、日本でも劇団四季が公演し、ロングランとなっている。現在も新名古屋ミュージカル劇場で公演されている。

ストリーはミュージカルと同じようである。シングルマザーの娘ソフィが結婚式で、父親と一緒にヴァージンロードを歩くことを夢みて、母親の日記から父親の可能性のある男性3名に母親に内緒で招待状を送ったことから、繰り広げられるどたばた喜劇というところである。関係した男性が3人いて父親が誰か分らないということになると、日本なら悲劇となるような題材であるが、この映画では全員底抜けに明るく、この現実を逆手にとって喜劇に変えている。世界ではこれが普通のことになっているのかもしれない。

場所はエーゲ海に浮かぶギリシャの小島。映画では生の音楽は聴けないが、映画のメリットを生かし随所に奇麗な風景が映し出される。また、歌う場所も海岸、桟橋、ホテルなどバラエティーに飛んでいる。そして、海に飛び込んだり、水が噴出したり映画ならではの仕掛けもあり、映画はどたばた喜劇には向いている。

平日見たので、年配者が多かったが、数組若い女性グループが見ていて、終わったあとすれ違ったが、笑いを堪えるのに苦労したと話していた。

音楽はABBAの大ヒット・ナンバー22曲が使用されているとのこと。ポップス音楽はあまり聴かないので曲としてはダンシング・クイーン程度しか知らなかったが、ABBAの音楽はどれも小気味よく映画に引き込まれるようである。映画では3組ほどトリオが登場するが中でもメリル・ストリープをメインとするおばさんトリオがよい。その老年パワーには驚かされる。メリル・ストリープの歌は特に上手いとは思わないが、ABBAの音楽に乗って歌えば上手く聞こえる。

劇団四季の公演ではアンコールのダンシング・クイーンで観客が立ち上がって一緒に歌うとことが恒例化しているとのこと。映画でもおばさんトリオが元気よく歌っていた。さすがに一緒には歌わないが雰囲気としては理解できる。

 

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映画クライマーズハイの感想

御巣鷹山日航機墜落事故の取材体験をまとめた横山秀夫の同名の小説を映画化した作品である。横山氏が地方新聞社に活躍していやだけに、新聞社内の取材活動、人間関係の描き方はリアルであり、この点では非常に面白かった。

映画を見る前は御巣鷹山日航機墜落事故が克明に描かれるのか思っていたが、映画は事件より、地方新聞社の人間関係を中心に描かれている。それと題名の「クライマーズ・ハイ」で分かるとおり、時折、谷川岳衝立岩への登山、それと主人公の家族との人間性の話が挿入される。どうも、二つの話の間には17年間程度の開きがあるようなのであるが、主演者が年を取らないので、注意して見ていないと時間的な感覚が分からなくなる。登山しながら回想しているとの位置づけになるのであろう。

遊軍記者である主人公(堤真一)が事件の全権ディスクに任命され、苦闘、決断する姿が描かれている。事件直後の新聞社の混乱とした描写は生なましい。次第に事件の全容が分かってくる緊張感。それと、携帯電話がなかった時代の取材活動であり、御巣鷹山に登っても連絡する手段がないのである。原稿締め切りの時間との戦い。地方新聞であるが、地元の事件であるという意地。それと、紙面の内容や締め切り時間をめぐる編集部と営業部や広告部との争い。など地方新聞社のどろどろとした人間関係が描かれている。

同じ社で何故、この様に仲が悪いのか疑問の点もあるが、どうも新聞社も編集部と営業部や広告部とは人種が異なるとの話もあり、また、編集部内でも記事への扱いについて争いがあるようである。小説の作者が勤務していたことを考えると案外正しいのかもしれない。各出演者は人間関係の個性をうまく表現していた。

クライマーズハイというのは登山の興奮状態が極限まで達し、高さへの恐怖心が麻痺してしまう現象のようである。日航機墜落事故の取材活動が丁度このハイ状態になっていたことを比喩しているのかもしれない。それの最も高揚した部分が、墜落事故の原因のスクープ情報を得て、その不確かな情報であるが、スクープ記事として、ハイのまま突っ走るか、裏が取れるまで思い留まるかの場面であろう。新聞社の報道姿勢というものが分かりも参考になった。