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横浜案内 歳時記(日常の活動)

横浜掃部山公園:桜の名所

掃部山公園は横浜の桜の名所である。JRの横浜駅から桜木町駅の間の山側、小高い丘になっているところにある。江戸幕府の大老で桜田門外の変で命を落とした彦根藩主井伊掃部頭直弼ゆかりの公園で、一番の高台になったところに井伊直弼の銅像が作られている。

アクセス方法

最寄駅はJRの桜木町駅で、駅から横浜方面に2百メール程度の歩くと紅葉坂の道にでる。ここから5分程度紅葉坂を登ると県立音楽堂の前に出る。この音楽堂の裏に位置するのが掃部山公園である。音楽堂の横の道を歩いていくと銅像がある高台への階段がある。市営地下鉄の高島町駅方面からも登ることもできる。

掃部山公園について

この辺りは海の見える高台で、明治初期に鉄道建設のために来日した外国人技師のための官舎が建てられていた。昔の横浜駅は桜木町駅辺りにあったので、日本最初の鉄道路線(新橋ー横浜)はこの掃部山公園の下を走っていたことになる。現在は埋め立てが進み目の前に「みなとみない」のビル群が広がっている。

掃部山公園の雲状の桜
掃部山公園の雲状の桜。遠くにみなとみないのビル群。

旧彦根藩の士族達が明治15年頃から「日米修好通商条約」に調印に貢献した井伊直弼を称えるため、この高台を買い取り井伊家の所有とし、銅像を建てた。大正3年に、井伊家から横浜市に寄贈され、現在に至っている。

井伊直弼の像
井伊直弼の像

公園には立派な桜の木が随所に植えられており、満開の時は見事である。この時期、多くの団体が酒盛りを開いており、銅像のある広場は宴会場とかする。正に「花より団子」の状態である。音楽堂で横浜翠嵐高校の吹奏楽部の演奏会が終わったあと立ち寄ってみたところ、夜桜で宴たけなわであった。

山全体に桜が植えられているので、高いところから見ると雲のようである。

掃部山公園の桜
掃部山公園の桜

横浜の文化施設の集まり

この辺りは、音楽堂を始め、横浜能楽堂、図書館、文化資料館、文化センターと公共施設が並んでいる。能楽堂の前を通り、紅葉坂の道に出て、反対側の丘には伊勢山皇大神宮がある。

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京都案内

蹴上げ琵琶湖疏水

京都は明治になり早くから近代化を進めた都市の一つであり。蹴上近辺には蹴上発電所、インクライン、琵琶湖疎水と京都の近代化遺産が多数存在する。インクラインには桜の木が多く、シーズンとなれば綺麗な花を咲かせる。また、南禅寺にも非常に近く、散策コースとして最適である。

アクセス方法

京都地下鉄東西線蹴上げ駅下車。地下鉄の蹴上駅を出るとインクライン(傾斜鉄道)の横である。インクラインは岡崎方面に向かって右手に南禅寺の入口、動物園の横の疎水まで続いている。

南禅寺に行くトンネル

インクラインの門
インクラインの門

京都方面に少し歩くとインクラインを潜るトンネルが見える。このトンネルを抜けると南禅寺の境内のようなところに出るので、南禅寺に行く時はこころ通ると近道である。トンネルを潜り、山の方に登って行くとインクラインに出ることができる。

琵琶湖疏水

京都復興の大事業として、明治14年に京都府知事の北垣国道が琵琶湖疎水計画を決断し、明治18年に起工、明治23年に竣工した大工事である。当時の大工事は外国人技術者に頼っていたが、この琵琶湖疏水は東京大学を卒業したばかりの21才の青年技師田邊朔朗を起用、日本人だけで成し遂げた大工事である。この水は岡崎周辺の疎水、哲学の道の横の川などに今でも流れている。

旧蹴上発電所

旧蹴上発電所
旧蹴上発電所

トンネルを通り過ぎると道路が都ホテルの前で三条通と岡崎公園に向かう道に分かれている。その道路の角に蹴上発電所の遺跡がある。味のある建物が建っている。道路から見下ろすことができる。

旧蹴上発電所は日本最初の事業用発電所で、琵琶湖疏水の水を利用して水力発電を行っていた。現在遺構が残っているのは明治45年に完成した第二期蹴上発電所のもの。

蹴上発電所の建物
蹴上発電所の建物

インクライン(傾斜鉄道)

インクラインのレール
インクラインのレール

蹴上から岡崎公園に向かう道を行くと、トンネルのあったインクラインが疎水に向かい段々と低くなっている。

道路と同じ高さのところでインクラインに入ることができる。琵琶湖疏水は水運にも利用されていたが、九条山と蹴上の間に高低差あったため、インクラインを作り台車に船を載せて運んでいた。少し荒れているが、周囲には桜が植えられており、桜のシーズンは多くの人が訪れる。

インクラインの台車
インクラインの台車

インクラインは動物園横の疎水にまで下っている。あまり下ると上がれなくなるので、適当なところで出る。横の道を進むと南禅寺の入口に出る。

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京都案内

紅葉の素晴らしい山科毘沙門堂

京都山科の北側の山裾に位置する毘沙門堂は桜や紅葉の美しい寺院である。決して大きな寺院ではないが境内の建物は近世の門跡寺院特有の景観を伝える貴重な遺構であり、その多くが京都市の有形文化財に指定されている。

アクセス方法

JR、京阪または地下鉄の山科駅で降りて、京津線の線路沿いの細い道あるいは旧東海道を大津方面に行くとJRの線路を越えられる道にでる。山に向かい1キロほど歩くと毘沙門堂である。中間ほどに山科疎水を渡る橋があるが、山科疎水も桜や紅葉が美しい所である。

http://m-wada.ever.jp/yamashina-sosui/

また、その先にある瑞光院は赤穂藩主の浅野家と関係深い寺で、大石内蔵助が同志と復讐について密議した場所とされている。

その少し先に毘沙門堂の入口で、碑が建っている。

山科毘沙門堂の碑
山科毘沙門堂の碑

毘沙門堂は山科盆地を見おろす山腹にあるが、山裾には紅葉の木が多く紅葉の名所となっている。JR東海のコマーシャル「そうだ 京都、行こう。」でも取り上げられたことがある。

山科毘沙門堂の門の外
山科毘沙門堂の門の外

本堂はこの高い階段の上にある。一般の参拝客は普段はこの仁王門から入る。急な階段なので、少し疲れる。

毘沙門堂の階段
毘沙門堂の階段
山科毘沙門堂の参堂
山科毘沙門堂の参堂

少し進むと勅使門に通じる参道がある。但し、この勅使門は天皇の勅旨など特別のことがない限り開かれない。横から入ることになる。

境内はあまり広くはない。毘沙門天が祀られている本殿ある。

山科毘沙門堂
山科毘沙門堂

毘沙門堂について

毘沙門堂は護法山と号する天台宗の門跡寺院(皇族・貴族が住持を務める格式の高い寺院)である。創建は飛鳥時代の大宝三年(703年)で文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は御所の北方にあって護法山出雲寺と言われた。

その後、戦乱から寛文五年(1665年)山科安朱の地に再建された。天台宗の宗祖で比叡山を開いた伝教大師最澄が作った毘沙門天を安置したことから毘沙門堂と呼ばれるようになった。

その後、後西天皇の皇子であった公弁法親王が入寺し、門跡寺院となった。天台宗五箇門跡・京都五箇室門跡(青蓮院、三千院、毘沙門堂、曼殊院、妙法院)の一つである。

山科毘沙門堂の桜の木
山科毘沙門堂の桜の木

宸殿前には「般若桜」と呼ばれる立派な枝垂桜。樹齢100年を越えると言われている。満開時には華麗な眺めとなる。

毘沙門堂の近くには塔頭の一つ山科聖天堂双林院がある。普通の寺院と少し雰囲気が異なるので、ついでに見学するこをお勧めする。

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京都案内

山科疎水の散策

琵琶湖疏水は琵琶湖から山科経由し京都まで設置された水路。山科の部分は山科疎水と言う。山科疎水の川沿いは3キロメートル以上に及び、東山自然緑地ジョギングコースが整備されている。木々に囲まれた静かな場所で桜の名所としても知られている。また、紅葉も美し毘沙門堂の参拝の折に立ち寄る価値がある。

アクセス方法

長い散策コースなので、何箇所も入るところはある。

  1. 京阪四宮駅で下車。一燈園まで行く方法。一燈園の横に疎水が流れている。疎水は京都方面は直ぐトンネルに入るが、散策路は続いている。
  2. JR山科駅あるいは京阪山科駅で下車。毘沙門堂に行く道を登っていくと、途中で疎水にでる。
  3. 地下鉄「御陵」で下車。「御陵」の駅前から北側の山に登って行けば、疎水の第2トンネル辺りに出る。ジョギングコースはこの辺りから始まっているが、更に山科側の疎水の端を見に行くのであれば蹴上(京都)方面に向かいながら山を登ればたどり着く。

琵琶湖疎水の景観

山科疎水沿いには多くの桜の木が植えられている。桜シーズンの写真

桜のシーズンの山科疎水
桜のシーズンの山科疎水

山科疎水の所どころで広場になっており、ベンチなども整備させている。

山科疎水沿いの広場
山科疎水沿いの広場

疎水沿いの道を京都方面にどんどん歩いていけば、やがてトンネルにぶつかる。疎水沿いの道も一端ここで途切れてしまう。一度一般道に出て、100メートル程度歩いたとことから、疎水方面に戻れば、また、疎水沿いの道に戻ることができる。

山科疎水の第2トンネル
山科疎水の第2トンネル

第2トンネルの出口。ここから疎水はまだ300メートル程度続いている。

日本最初のコンクリート橋。その当時の先端技術が取り入れられたのであろう。

日本最初のコンクリート橋
日本最初のコンクリート橋

山科疎水で一番蹴上げよりの第3トンネルの入口。この先は長いトンネルを潜り京都蹴上げに出る。

山科疎水のトンネル
山科疎水のトンネル

琵琶湖疎水について

江戸時代の末期に京都に起こった動乱や都が京都から東京に移ったことにより京都が疲弊しているとき。琵琶湖の水を灌漑、上水道、水運、水力発電所の動力に利用することが計画された。明治時代に行われた大土木工事であつたが、この疎水事業は青年技師の田邊朔郎などすべて日本人の手で行われたもので、明治時代の近代化遺産として非常に価値が高い。

上下水道局:琵琶湖疏水についての解説

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北東北の旅 津軽地方の旅

豪華な弘前公園の桜(改築前の写真)

弘前公園には日本一とも云えるほどの規模の桜の木が植えられている。弘前城の天守、櫓、門、濠、橋などお城の遺跡と対比した桜は素晴らしいの一言である。

弘前公園は弘前城の跡を公園にしたもので、現在も天守閣や櫓、門、濠、橋などが随所に残っている。公園の面積は東京ドームの10倍強。この広大な公園の随所に京都や吉野などから移植、育てられてきた50品種、2600本の桜の木が植えられている。どれも見事な桜の木で、見ごたえがある。

 交通の便

弘前駅から公園まで頻繁に直通バスが運行されているが、津軽フリーパスで無料で乗れるのは100円の循環バスなど路線が限定されており、多少は不便である。循環バスの乗り市役所前で降りた。ここは公園の追手門の近くで観光の中心地である。

外濠の桜

弘前公園の周りは外濠で囲まれているが、それに沿って立派な桜並木が続く。角館は枝垂れ桜が主で華麗な桜が覆いが、弘前公園の桜は巨木で豪快である。弘前に着いた日は雪で、桜が咲く中を雪が舞うという珍しい風景を見ることができた。

弘前城壕の桜
弘前城壕の桜

濠の両岸には見事な桜が植えられている。

弘前城濠の両側の桜
弘前城濠の両側の桜

次の日は曇りで桜見物も多少はよくなった。

津軽藩ねぶた村付近

公園内にも幾つかの写真の撮影ポイントがある、津軽藩ねぶた村の前の濠のところが、一つのポイントとなっており、天気が良ければ岩木山が濠に映って見えるとのこと。当日は曇り空で岩木山はあいにく雲の中、残念であった。

津軽藩ねぶた村の前の濠
津軽藩ねぶた村の前の濠

弘前城北門と桜

弘前城は江戸時代の初期に築城されてから260年間津軽藩の居城として藩政の中心となっていた。弘前城には文化財の門が5つ残っている。写真は亀甲橋と文化財の北門。建設さてた当初はこの北門が表門であった。武家屋敷の町並みはこの場所から直ぐである。桜の写真もアクセントがあると絵になる。

弘前城の北門と桜
弘前城の北門と桜

弘前城の櫓と桜

公園内にも立派な桜の木が多い。文化財の櫓をバックに撮った。弘前公園にはこのような文化財の櫓が三つ残っている。

弘前城の櫓と桜
弘前城の櫓と桜

修復以前の弘前城天守閣と桜

この風景は今後永遠に見ることが出来なくなつた。石垣が壊れる危険があるとのことで、天守閣が移動されることになつた。石垣と天守閣と周りには撮影ポイントが多くあつたが、残念。

もとは別に華麗な5層の天守閣があったが、落雷で焼失してしまった。再建しようとしたが当時の法律で天守閣の新築が禁止されていたので、やむなく隅櫓を改築して今の3層の天守閣にした。それでも、江戸時代に再建された天守閣としては東北唯一のものとのこと。

弘前城天守閣と石垣
弘前城天守閣と石垣
弘前城天守閣と桜
弘前城天守閣と桜

天守閣のある本丸は有料になっている。本丸には枝垂れ桜が多い。

弘前城の本丸公園の桜
弘前城の本丸公園の桜

堀と橋と桜

公園内に幾つかの橋があるが、濠にかかるこの橋が絵になるのである。

内堀に架かる橋と桜
内堀に架かる橋と桜

帰る頃になってようやく晴れてきた。

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津軽地方の旅

太宰治も愛した津軽の芦野公園

芦野公園は太宰治の育った斜陽館から歩いても20分程の距離にあり、桜の名所100選にも選ばれている公園である。観光したときは、何故か桜の開花が遅れており、季節外れの雪が降るなど散々の天気であった。早々と引き上げ五所川原経由、弘前に向かった。

芦野公園について

芦野公園はJRの五所川原駅から冬のストーブ列車で有名な津軽鉄道に乗って30分程で着く。太宰治の生地の金木から一駅の距離にあり、斜陽館から歩いても20分程度である。太宰治の生活圏であったのだろう。
芦野公園は、ボートで遊覧できる芦野湖を中心にした広大な公園で、園内には動物園、吊橋、浮き橋などがあり、昔から地域住民に親しまれている。また、桜1500本と松1800本が植えられており、桜の名所100選にも選ばれている。
公園の中にある津軽鉄道の「芦野公園駅」は、太宰治の小説「津軽」で、「踏切番の小屋くらいの小さい駅」「のどかな駅」と表現している。踏切番よりはもっと大きいが「のどかな駅」であることは間違いなさそうである。

芦野公園
芦野公園

芦野公園の桜

斜陽館から金木の駅とは反対方向に進み、339号線に出たところから339号線を北上する。20分程度歩けば自然に公園に突き当たるので、殆ど道に迷うことはない。反対に芦野公園から金木に歩くと曲がる道が分りづらいと思う。

不思議なことに弘前は満開とのことなのに30キロ程北の芦野公園は、開花の気配さえなく殆ど咲いていなかった。観光客を見込ん開設された屋台も店を閉じて閑散としていた。桜の木が1500本となれば相当な数で藤枝溜池を取り巻くように咲いていればそれは壮観なことと思われる。
ここのベストな撮影ポイントはやはり芦野公園駅近くの桜並木の下を古い電車が走っている姿でないだろうか。当日は桜見物を行なうどこか生憎の天候で、雨に濡れない場所で数枚写真を撮って、早々に駅まで引上げた。

季節外れの雪

芦野公園から津軽鉄道に乗り、五所川原まで行き駅前の簡単な店で昼食を摂った。五所川原からJRに乗り弘前に向かった。車中、4月の下旬、桜の咲く時期にあるのに雪が降り出した。

この辺りはリンゴの産地として有名なところで、車窓から見えるリンゴ園にも雪が積もっていた。4月末に雪が降るというのは津軽でも珍しいことである。

津軽の林檎園
津軽の林檎園
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北東北の旅

久保田藩の城下町ー秋田市

秋田市は久保田藩20万石の城下町として栄えた都市である。市内の中心部にある千秋公園には昔久保田城があったが、火事で消失し、現在は桜の名所となっている。秋田市は秋田県の県庁所在地であり観光施設も多い。

久保田城

秋田の地には奈良時代から平安時代にかけて城柵(出羽柵)が建設されていた。その後、城柵は秋田城と言われるようになった。この秋田城の跡は近くの高清水公園に残っている。この地を支配していた佐竹氏は当初、秋田城を拠点としていたが、手狭になり、1604年に久保田藩初代藩主の佐竹義宣が現在の千秋公園の地に窪田城を建設した。後に久保田城と改名している。戦国時代の佐竹氏は周辺大名と姻戚関係を結び、伊達氏や北条氏と拮抗する勢力を持っていた。藩は明治時代まで残った。城は明治13年の大火で建造物はほぼ焼失してしまった。その後、平成元年に市制100周年を記念して御隅櫓が復元。平成13年に絵図や資料を基に久保田城表門が再建されている。

木造2階建て瓦葺きの櫓門はこの素晴らしく、千秋公園の中では一番絵になる 。

久保田城の櫓門
久保田城の櫓門

復元された御隅櫓。内部は資料館となっている。

千秋公園の桜

秋田市の第一の観光地は千秋公園のようだ。千秋公園は旧久保田城一帯を公園として整備されたものでである。山城であったのか、公園全体が岡になっいる。公園に残る城跡の遺構と桜の対比がよいのか千秋公園は桜100選 にも選ばれている桜の名所である。残念ながら訪れた時は桜はすでに満開を過ぎ散り始めていた。それでも、多くの人が訪れていた。

千秋公園の内堀の桜。堀とのコントラストで比較的絵になる。

千秋公園の内堀の桜
千秋公園の内堀の桜

本丸辺りの桜。

久保田城本丸辺りの桜
久保田城本丸辺りの桜

高いところからは雪を頂いた山が見える。

千秋公園の高台
千秋公園の高台

旧金子家住宅

江戸後期の建築様式を残した旧金子家住宅。秋田市の代表的な町家であり、秋田市指定文化財となっている。

旧金子家住宅
旧金子家住宅

秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)

秋田市民俗芸能伝承館では竿燈、土崎港まつり、梵天などの秋田の民俗行事や伝統芸能が紹介されている。竿燈が飾ってあった。これを一人で持って演技するのは大変である。

秋田市民俗芸能伝承館の竿燈
秋田市民俗芸能伝承館の竿燈

秋田市立赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店)

秋田にある観光資料に載っている唯一の近代建築の建物で重要文化財に指定されている。外部を当時の秋田県技師山口直昭、内部を工学博士星野男三郎が設計し、明治45年7月に完成している。煉瓦造の2階建て、外観はルネッサンス様式を基調とし、基壇は灰色の男鹿石の切り積み、1階が磁器白タイル、2階が赤煉瓦で仕上げている。明治時代末期の本格的な煉瓦造洋風建築として貴重。現在は「秋田市立赤れんが郷土館」として秋田市の伝統工芸品が常設展示されている。

旧秋田銀行本店
旧秋田銀行本店

秋田は海が近いので魚が美味い。名物はやはり「切りたんぽ鍋」であろうか。

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角館の桜と武家屋敷の町並み

角館は重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている上・中級武士の武家屋敷の町並みが残った風情のある町である。町の各所で京都から持ち込まれたシダレザクラが立派に育成され、見事な花を咲かせている。また、近くの桧木内川には桜の木が2キロにわたって植えられており、豪快な桜のトンネルを作り出している。

角館駅から遠い武家屋敷

盛岡から角館までは秋田新幹線「こまち」で45分ほどである。「こまち」はすべて座席指定であるが、盛岡ー秋田間だけは立席特急券が発行される。行った時も通路には多くの人が立っていた。
重要伝統的建造物群保存地区の武家屋敷や桜並木のある場所は近いところでもJRの駅から600メートル程度、遠い所では1.8キロ程度離れており、単純に計算して往復するだけでも小1時間かかる。ただ、観光バスの場合は桧木内川の近くに大きな駐車場があり、観光スポットを手軽に見学できる。

角館駅で手荷物を駅のロッカーに預けたかったが既に一杯で仕方がなく担いで行くことにした。もっとも、ロッカーは近くの観光案内では空いていたようであり、カタクリ群生の郷に行ったときはここのロッカーを利用した。

重要伝統的建造物群保存地区の武家屋敷の町並み

観光地区ではあるが、比較的角館駅に近い情報センターのロッカーが空いていたので利用した。先ずは比較的観光客が少ない田町武家屋敷の辺りを見学した。この地区は昔の屋敷そのものが残っている家は少ないが、町の雰囲気を壊さないように板塀などで統一されている。桜の木は少ないが随所に、風情のある姿で植えられており、黒い板壁との対比が素晴らしい。

角館の町並み
角館の町並み

角館は秋田の久保田城を拠点とする佐竹一族と関連する藩である。佐竹一族は本家の他に有力な4家(東家、西家、南家、北家)があり、その一つの北家が角館を治めていた。

角館下新町
角館下新町

小京都の角館

1656年に佐竹氏の分家である佐竹北家の佐竹義隣が角館に入りったが、佐竹義隣は京の公家と関係が深く、二代目の佐竹義明も公家の娘を正室に迎えたことから角館には多くの京文化が移入された。以後11代明治時代まで佐竹家は続いた。枝垂桜も京都から持ち込まれた。

角館の桜
角館の桜

黒板塀の中の家の多くは一般の家や施設を囲んだものであるが、中には県や市の文化財に指定されている青柳家、石黒家、松本家など数軒の建物がある。家の中を有料で見学できる。

文化財の家
文化財の家

武家屋敷の桜

武家屋敷を構成する町は広く。主要な道路だけでも1キロ以上に及ぶ。観光地のメインである表町に近づくに従って観光客も増加してきた。武家屋敷地区の桜は殆どが枝垂桜である。どこか優美である。

表町武家屋敷。観光バスのターミナルも近く、この辺りは観光客で溢れている。桜は見事であるが、町の風情は感じられなくなる。駅からは一番遠く離れている場所となる。

角館の桜
角館の桜
角館表町
角館表町

桧木内川の桜

桧木内川堤には全長2kmに渡って400本のソメイヨシノが植えられ、武家屋敷の枝垂桜とは違った豪快な桜並木を作り出している。

桧木内川堤の桜
桧木内川堤の桜

この近くには観光バスの駐車場があり、多くの観光客がいた。

桧木内川堤の桜のトンネル
桧木内川堤の桜のトンネル
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盛岡の旅

盛岡で桜見物

盛岡市の桜の名所である盛岡城跡公園と石割桜、それと岩手大学旧正門前の桜並木を見学した。今回の旅行では角館、弘前の桜の開花に照準を合わせて日程を組んだので、盛岡の桜はすでに盛りを過ぎていたが、部分的には満開に近い桜もあり、それなりに楽しめた。

盛岡城址公園の桜

ここは日本の桜100選にも選ばれている桜の名所である。広い公園の随所に桜の木が植えられいる。また、石垣も多く残っており、絵になる場所が多い。桜と石垣とのコントラストは素晴らしい。

盛岡城の石垣と桜
盛岡城の石垣と桜

公園の広場の桜

盛岡城址公園の桜
盛岡城址公園の桜

石割桜

盛岡地方裁判所の構内に立派な桜の木がある。木も風格があるが、なによりも、幹の根元に大きな花崗岩が横たわっており、桜はこの花崗岩を割るように生えている。信じられない光景であるが、その生命力の強さに関心した。これについては、南部藩主の北監物の庭園にあった巨石に落雷し、割れ目ができ、そこにエドヒガンザクラの種子が入り込み成長したという言い伝えが残っている。
行ったときは桜のシーズンは殆ど終わっていたが、まだ多くの観光客が訪れ、珍しい桜の姿を写真を撮っていた。国の重要天然記念物に指定されている。

盛岡の石割桜
盛岡の石割桜

岩手大学の旧正門の桜

観光地とはなっていないが、岩手大学農学部の旧本館を見学したあと旧正門から帰ったが、門を出たあと200メートルほど桜の並木が続いている。まだ満開に近く盛岡の桜ではここが一番素晴らしかった。

岩手大学旧正門前の桜
岩手大学旧正門前の桜

その他の桜の名所

今回行けなかったがネットで次の場所などが桜の名所として有名のようだ。

  • 高松公園 :日本の名所百選に選ばれている桜の名所
  • 龍 谷 寺:モリオカシダレ
  • 米内浄水場:ヤエベニシダレ(県指定保存樹木)