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大鰐温泉(弘前の奥座敷)

大鰐温泉は弘前から非常に近く、桜のシーズンなど弘前観光のとき手軽の利用できる温泉である。

 大鰐温泉への交通の便

弘前を見学したあと今夜の宿の大鰐温泉に向かった。大鰐温泉は弘前の奥座敷と言われている温泉であるが、JRで二つ目の駅で乗車時間にして11分と非常に近く、弘前観光の宿泊地としても十分に利用できる。ただ、JRの本数が少なく、列車時刻を頭に入れて行動する必要がある。しかし、JR以外にも弘南鉄道、それにバスの便もあるので、行けなくなるというようなことはない。津軽フリーパスの利用できるエリアにも入っている。

大鰐温泉は少し山間に入ったところにあるが、まだ町幅は以外に広く、ひなびた山間の温泉宿という風情ではない。近くには青森県で有数の大鰐温泉スキー場があり、冬は賑わうとのこと。それ以外のシーズンは多分余裕があるのであろう。

町の中には観光地というほどのものはないが、大鰐温泉は長さ30cmほどの大豆「もやし」が地域の名産品とのことで、歩いていて看板をよく目にした。

大円寺

宿に行く途中にあった大円寺は高野山金剛峰寺の末寺で、本尊は阿弥陀如来。高さ2mのヒバ材を使用した寄木造りの阿弥陀如来座像は国の重要文化財の指定を受けているとのこと。

大鰐温泉の大円寺
大鰐温泉の大円寺

最後の宿泊は温泉に入り、旅館で夕食をとりゆっくりと過ごした。

「寝台特急あけぼの」に乗る

最終日は青森を観光することに決めた。しかし、JRの適当な普通電車がなく、「寝台特急あけぼの」(現在は運転されていない)で行くことにした。寝台列車もこの終着あたりの区間になると立席特急券というのが発売され、利用できるようになる。

寝台特急あけぼの
寝台特急あけぼの

同じような人が十名程度いた。駅員さんから3、4号車に乗って下さいと指示された。弘前までは窓際の補助椅子を出して座っていたが、弘前で降りる人が多く、多くの寝台が空になった。使ったシーツが散乱しているので、多少、汚らしい感じはするが、青森まではゆっくり座って行けた。

弘前を過ぎ、青森方面にカーブすると、今まで電車の進行方向にあって見えなかった岩木山が見えるようになってきた。雪を被った岩木山は素晴らしくやはり弘前のシンボルである。

車窓の岩木山
車窓の岩木山
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黒石の重要伝統的建造物群保存地区「こみせ」

弘前から電車で30分ほどの距離にある黒石は黒石藩の城下町として栄えた町で、現在も重要伝統的建造物群保存地区に指定されている中町の「こみせ」通りには古い商家の町並みが残っており、非常に印象的な町である。
黒石市は弘前駅から弘南鉄道の弘南線の終点で、乗車時間は30分弱である。
黒石市は、十和田八幡平国立公園北西の玄関口に位置するところにあり、江戸時代は弘前藩から分かれた黒石藩の城下町として栄えた。

重要伝統的建造物群保存地区の中町「こみせ」

日本の道100選にも選ばれている「こみせ」通りは黒石駅から10分程歩いた距離にある。
中町にある「こみせ」通りには風格のある建物が、長い木製の軒先を出しアーケードとなっており雪国独特の雰囲気を残しており、非常に風情のある町並みである。数ある重要伝統建造物保存地区でも指折りの景観に入ると思う。

軒下の屋根を大きく外側に張り出させアーケードとしている。雪深い地方の工夫が偲ばれ興味深い建物である。

黒石の「こみせ」
黒石の「こみせ」

高橋家は江戸時代中期に立てられた津軽地方の代表的な商家で、重要文化財に指定されている。前日降った雪が解けて軒下に垂れ、風情を醸し出していた。

黒石市の高橋家
黒石市の高橋家

中村酒造に飾ってある杉玉。新酒が出来たことを知らせるためのもので、杉玉の古さによって新酒からの経過時間が分る。

黒石市の中村酒造
黒石市の中村酒造
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弘前の武家屋敷の町並み

弘前城の北側にある仲町一帯には重要伝統的建造物群保存地区に指定されている武家屋敷の町並みが残っている。昔の屋敷が現状のまま残っているのは数軒であるが、一般住宅も昔の雰囲気を壊さないようにサワラの生垣や板塀で統一されている。

重要伝統的建造物群保存地区

弘前城の北側、城から一つ奥の通りが武家屋敷の町並みが広がる仲町である。藩政時代の初期の頃は北門が表玄関であったから、直ぐに登城る場所に作られたのであろう。城からも近く手軽に散策できる場所である。旧岩田家住宅付近の地図。

石場家住宅

弘前城の北門を出たところに江戸時代中期の豪商の商屋で重要文化財になっている石場家住宅がある。この通りの一つ奥の通りが仲町の武家屋敷である。

石場家住宅
石場家住宅

保存地区の景観

重要伝統的建造物群保存地区に指定されている仲町で、現在も、昔の武家屋敷そのものが残っているものは少ない。ただ、景観を保つため、一般住宅も雰囲気を壊さないようにサワラの生垣や板塀で統一されており、なかなか良い。但し、あまり古さは感じない。

 昔のまま残る旧岩田家住宅

町並みの東側の一番奥にある旧岩田家住宅だけは昔の武家屋敷として残っており、県重宝に指定されている。旧岩田家住宅は約150年前に建てられ中級武士の住宅で、内部を見学することもできる。江戸時代後期の武家の生活を知る貴重な建築遺構の一つとなっている。

旧岩田家住宅
旧岩田家住宅

旧伊東家住宅と旧梅田家住宅

保存地区の西側の端には旧伊東家住宅と旧梅田家住宅が移築保存されている。 旧伊東家住宅は藩医をつとめていた伊東家が200年ほど前に建てたもので、伝統的建造物の保存にあたり現在地へ移転復元されてたものである。県重宝に指定されている。

l旧伊東家住宅
l旧伊東家住宅

旧伊東家住宅の隣には150年ほど前に建てられた武家屋敷の旧梅田家住宅がある。これも移築されたものであろう。

旧梅田家住宅
旧梅田家住宅
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弘前市の観光施設と岩木山のビューポイント

弘前には桜と西洋風建築以外にも見るべきものが多い。その中で観光したものを紹介する。弘前公園の大手門の近辺には観光施設が集まっており、一度にいろいろ観光できるので便利である。

弘前市立観光会館

弘前市と津軽地方の観光拠点で、各種情報や民芸品の展示・販売が行なわれている。

山車展示館

八幡宮祭礼の山車
八幡宮祭礼の山車

八幡宮祭礼のときに使用される山車が展示されている。入場は無料で気軽に観光できる。

ねぶたとともに出陣する大太鼓も展示されている。その巨大さにびっくり。

八幡宮祭礼の大太鼓
八幡宮祭礼の大太鼓

弘前市立郷土文学館

明治以降各分野で活躍した津軽出身の著名作家9名と石川洋次郎の関係資料が展示されている。

陸羯南:国民主義の政治評論家。日本新聞の社長で正岡子規を育てたことでも知られている。
佐藤紅緑:少年小説の第一人者
葛西善蔵:私小説、代表作として「哀しき父」、「子をつれて」、「仲間」
平田小六:農民小説が有名
今官一:代表作「壁の花」で第三十五回直木賞を受賞
福士幸次郎:、口語自由詩の先駆者
太宰治:代表作「走れメロス」、「津軽」、「お伽草紙」、「斜陽」、「人間失格」
一戸謙三:代表作に津軽方言詩集「ねぷた」
高木恭造:津軽弁の詩集が有名。代表作「まるめろ」

岩木山のビューポイント

弘前から見る岩木山は素晴らしいが、その中でも特に素晴らしいビューポイントがあるとのこと。資料など得た情報をもとに訪れてみた。

津軽藩ねぶた村前の堀から

堀の両側の桜と堀の向こうに見える岩木山の対比が素晴らしいとのこと。当日は天気が悪く見えなかった。

桜と岩木山ビューポイント
桜と岩木山ビューポイント

弘前城本丸から

桜や松の木の上に見えるようだ。天気が悪いのと行列が出来ているので入らなかった。

城西大橋から

弘前公園の近くの城西大橋一帯は少し高台になっており、この橋から岩木山の全景を見ることができる。頂上の雲が取れなくて残念。

岩木山ビューポイント
岩木山ビューポイント

五重塔が素晴らしい最勝院

西洋風建築ばかりでなく弘前にはお寺もあるが、今回は重要文化財になっている最勝院の五重塔を見に行った。その姿は素晴らしい。

最勝院の五重塔
最勝院の五重塔
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豪華な弘前公園の桜(改築前の写真)

弘前公園には日本一とも云えるほどの規模の桜の木が植えられている。弘前城の天守、櫓、門、濠、橋などお城の遺跡と対比した桜は素晴らしいの一言である。

弘前公園は弘前城の跡を公園にしたもので、現在も天守閣や櫓、門、濠、橋などが随所に残っている。公園の面積は東京ドームの10倍強。この広大な公園の随所に京都や吉野などから移植、育てられてきた50品種、2600本の桜の木が植えられている。どれも見事な桜の木で、見ごたえがある。

 交通の便

弘前駅から公園まで頻繁に直通バスが運行されているが、津軽フリーパスで無料で乗れるのは100円の循環バスなど路線が限定されており、多少は不便である。循環バスの乗り市役所前で降りた。ここは公園の追手門の近くで観光の中心地である。

外濠の桜

弘前公園の周りは外濠で囲まれているが、それに沿って立派な桜並木が続く。角館は枝垂れ桜が主で華麗な桜が覆いが、弘前公園の桜は巨木で豪快である。弘前に着いた日は雪で、桜が咲く中を雪が舞うという珍しい風景を見ることができた。

弘前城壕の桜
弘前城壕の桜

濠の両岸には見事な桜が植えられている。

弘前城濠の両側の桜
弘前城濠の両側の桜

次の日は曇りで桜見物も多少はよくなった。

津軽藩ねぶた村付近

公園内にも幾つかの写真の撮影ポイントがある、津軽藩ねぶた村の前の濠のところが、一つのポイントとなっており、天気が良ければ岩木山が濠に映って見えるとのこと。当日は曇り空で岩木山はあいにく雲の中、残念であった。

津軽藩ねぶた村の前の濠
津軽藩ねぶた村の前の濠

弘前城北門と桜

弘前城は江戸時代の初期に築城されてから260年間津軽藩の居城として藩政の中心となっていた。弘前城には文化財の門が5つ残っている。写真は亀甲橋と文化財の北門。建設さてた当初はこの北門が表門であった。武家屋敷の町並みはこの場所から直ぐである。桜の写真もアクセントがあると絵になる。

弘前城の北門と桜
弘前城の北門と桜

弘前城の櫓と桜

公園内にも立派な桜の木が多い。文化財の櫓をバックに撮った。弘前公園にはこのような文化財の櫓が三つ残っている。

弘前城の櫓と桜
弘前城の櫓と桜

修復以前の弘前城天守閣と桜

この風景は今後永遠に見ることが出来なくなつた。石垣が壊れる危険があるとのことで、天守閣が移動されることになつた。石垣と天守閣と周りには撮影ポイントが多くあつたが、残念。

もとは別に華麗な5層の天守閣があったが、落雷で焼失してしまった。再建しようとしたが当時の法律で天守閣の新築が禁止されていたので、やむなく隅櫓を改築して今の3層の天守閣にした。それでも、江戸時代に再建された天守閣としては東北唯一のものとのこと。

弘前城天守閣と石垣
弘前城天守閣と石垣
弘前城天守閣と桜
弘前城天守閣と桜

天守閣のある本丸は有料になっている。本丸には枝垂れ桜が多い。

弘前城の本丸公園の桜
弘前城の本丸公園の桜

堀と橋と桜

公園内に幾つかの橋があるが、濠にかかるこの橋が絵になるのである。

内堀に架かる橋と桜
内堀に架かる橋と桜

帰る頃になってようやく晴れてきた。

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弘前の素晴らしい近代建築(洋風建築)

弘前は明治時代にいち早く西洋文化を積極的に取り入れたため、多くの宣教師が来日して西洋建築を建てたとのこと。また、戦災を免れたことにより弘前には現在でも素晴らしい洋風建築や近代建築が多く残っている。

弘前公園の追手門近くの洋風建築

旧弘前市立図書館

弘前の洋風建築は津軽藩のお抱え大工の長男として生まれた棟梁 堀江佐吉が建てたものが多い。堀江は函館で洋風建築の基礎を学び、この弘前に数多く洋風建築を残している。旧弘前市立図書館は明治39年に斎藤主と堀江佐吉らが東奥義塾高校の敷地内に建てたもので、八角形の双塔を持つルネッサンス様式の建物は弘前で見た中では一番気に入った。県重宝に指定されている。
主要な建物はこの地図の範囲内にある。

旧弘前市立図書館
旧弘前市立図書館

旧東奥義塾外人教師館

旧弘前市立図書館の直ぐ横にある旧東奥義塾外人教師館も堀江佐吉の仕事である。東奥義塾は明治5年に青森県に最初に開校した私学校で、この建物は招聘した外国人宣教師のために明治34年に建てられた住宅。設計は米国のメソジスト伝道本部であるが、施工は堀江佐吉が行なっている。これも県重宝に指定されている。

旧東奥義塾外人教師館
旧東奥義塾外人教師館

青森銀行記念館

追手門から少し歩いたところに青森銀行記念館がある。この建物は明治37年に棟梁 堀江佐吉が第五十九銀行本店本館として建てたもので、重要文化財に指定されている。現在は銀行関係の資料が展示されている。

青森銀行記念館
青森銀行記念館

弘前市は文化財には指定されていないが、弘前の歴史と文化の風情を醸し出している建物を「趣のある建物」として指定している。追手門の近くには旧藤田家別邸と旧第八師団長官舎がある。
 

旧藤田家別邸洋館

旧藤田家別邸洋館は日本商工会議所の創設者である弘前市出身の藤田謙一氏の別邸として大正10年に建てられた。設計は堀江佐吉の六男の堀江金造、施工は長男の堀江彦三郎である。

藤田謙一氏の別邸
藤田謙一氏の別邸

旧第八師団長官舎

旧第八師団長官舎は堀江佐吉の長男、堀江彦三郎が設計したもので、大正6年に建てられている。

旧第八師団長官舎
旧第八師団長官舎

弘前公園の追手門近く以外の洋風建築

カトリック弘前教会

堀江佐吉の弟の堀江常吉が明治43年に建てた尖塔を持つロマネスク様式の木造建築。趣のある建物に指定されている。

カトリック弘前教会
カトリック弘前教会

石場旅館

明治12年に建てられた旅館で、白と黒のコントラストが美しい。これも「趣のある建物」に指定されている。

石場旅館
石場旅館

日本キリスト教団弘前教会

ノートルダム寺院にも似た双塔を持つゴシック様式の礼拝堂は明治40年に堀江佐吉の子、斉藤伊三郎によって建てられたもので、明治の第一級の建築として評価され、県重宝に指定されている。

日本キリスト教団弘前教会
日本キリスト教団弘前教会

日本聖公会弘前昇天教会

大正10年にJ.Mガーディナーが設計したゴシック様式のレンガ造りの美しい教会である。レンガ造り建築としても貴重であり、県重宝に指定されている。

日本聖公会弘前昇天教会
日本聖公会弘前昇天教会

百石町展示館

明治16年に宮本甚兵衛が呉服店の店舗として建てた土蔵造りの建物。その後、青森銀行の支店として使用され、平成16年からは百石町展示館として公開されている。市指定文化財となっている。

土蔵造りの旧呉服店の建物
土蔵造りの旧呉服店の建物

吉井酒造レンガ倉庫

大正14年頃建てられたレンガ造二階建の倉庫。かつては東北最大の酒造所。

吉井酒造レンガ倉庫
吉井酒造レンガ倉庫
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太宰治も愛した津軽の芦野公園

芦野公園は太宰治の育った斜陽館から歩いても20分程の距離にあり、桜の名所100選にも選ばれている公園である。観光したときは、何故か桜の開花が遅れており、季節外れの雪が降るなど散々の天気であった。早々と引き上げ五所川原経由、弘前に向かった。

芦野公園について

芦野公園はJRの五所川原駅から冬のストーブ列車で有名な津軽鉄道に乗って30分程で着く。太宰治の生地の金木から一駅の距離にあり、斜陽館から歩いても20分程度である。太宰治の生活圏であったのだろう。
芦野公園は、ボートで遊覧できる芦野湖を中心にした広大な公園で、園内には動物園、吊橋、浮き橋などがあり、昔から地域住民に親しまれている。また、桜1500本と松1800本が植えられており、桜の名所100選にも選ばれている。
公園の中にある津軽鉄道の「芦野公園駅」は、太宰治の小説「津軽」で、「踏切番の小屋くらいの小さい駅」「のどかな駅」と表現している。踏切番よりはもっと大きいが「のどかな駅」であることは間違いなさそうである。

芦野公園
芦野公園

芦野公園の桜

斜陽館から金木の駅とは反対方向に進み、339号線に出たところから339号線を北上する。20分程度歩けば自然に公園に突き当たるので、殆ど道に迷うことはない。反対に芦野公園から金木に歩くと曲がる道が分りづらいと思う。

不思議なことに弘前は満開とのことなのに30キロ程北の芦野公園は、開花の気配さえなく殆ど咲いていなかった。観光客を見込ん開設された屋台も店を閉じて閑散としていた。桜の木が1500本となれば相当な数で藤枝溜池を取り巻くように咲いていればそれは壮観なことと思われる。
ここのベストな撮影ポイントはやはり芦野公園駅近くの桜並木の下を古い電車が走っている姿でないだろうか。当日は桜見物を行なうどこか生憎の天候で、雨に濡れない場所で数枚写真を撮って、早々に駅まで引上げた。

季節外れの雪

芦野公園から津軽鉄道に乗り、五所川原まで行き駅前の簡単な店で昼食を摂った。五所川原からJRに乗り弘前に向かった。車中、4月の下旬、桜の咲く時期にあるのに雪が降り出した。

この辺りはリンゴの産地として有名なところで、車窓から見えるリンゴ園にも雪が積もっていた。4月末に雪が降るというのは津軽でも珍しいことである。

津軽の林檎園
津軽の林檎園
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太宰治の育った町 金木

金木はJR線の五所川原から冬になるとだるまストーブを焚くことで有名な津軽鉄道に乗り20分ほど北に行ったところにある。作家太宰治が生まれ育った斜陽館があることで知られている。

金木について

金木に行くには五所川原駅でJRから津軽電鉄に乗り換える。津軽電鉄はJRと同じ駅舎を使用しており、改札だけが分けられている。

「津軽鉄道のストーブ列車に乗って」からは荒涼とした原野を想像するが、金木は大きな町である。太宰治の「津軽」では次のように表現している

「金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである。」「かりに東京に例をとるならば、金木は小石川であり、五所川原は浅草、といつたやうなところでもあらうか。」

太宰治の生家の斜陽館

斜陽館は金木駅から徒歩で5分強のところにある。太宰治の父親で衆議院議員の津島源右衛門が明治40年に建てた豪邸である。太宰治はこの家で青森の中学校に入学するまで生活した。重要文化財に指定されている。

金木の斜陽館
太宰治の育った斜陽館

部屋数が19室もある豪邸である。一階には広い土間ある。奥にあった豪華な仏壇にびっくりした。ただ、太宰治はこの家を嫌っており小説に「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と記述している。

斜陽館の内部
広い土間がある斜陽館

この家が金融業の店舗を兼ねていたとのことで、二階には立派な洋室もある。

斜陽館の洋室
斜陽館の立派な洋室

この部屋は金融業の事務室である。

斜陽館の金融業事務所
斜陽館の金融業事務所

イギリス積みとフランス積

レンガ積にはイギリス積みとフランス積みがあることを知っていたが、斜陽館で、実際に積み方の違いを展示してあった。
イギリス積みは一つに段はレンガを同じ方向に並べてあるが、
フランス積みはレンガの縦と横が交互に並べれれている。

イギリス積み
イギリス積み
フランス積み
フランス積み

津軽三味線会館

斜陽館から徒歩1分ほどのところに、金木は津軽三味線発祥の地ということで津軽三味線会館が作られている。
会館には津軽三味線の歴史や三橋美智也などの資料が展示されているが、やはり一般の観光客にとっては津軽三味線の実演が目玉であろう。行ったときは30分の実演が日に4回行なわれていた。斜陽館で入場券を買ったとき、丁度、実演時間だったので係りの人から先に会館の方を見学した方がよいと進められた。

もっとも青森県に行くと観光シーズンだったためかよく三味線の実演にでくわした。その中で、この津軽三味線会館の演奏が一番レベルが高そうである。

津軽三味線会館
津軽三味線会館の実演
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迫力満点の「立ちねぷた」:五所川原

五所川原には高さ22メートルに及ぶ立佞武多(たちねぷた)の資料館がある。以前使用された3台の立佞武多が保管、展示されている。

五所川原について

五所川原はJRの五能線から入った場合、津軽観光の入口である。また、太宰治の出身地「金木」に行くための津軽鉄道の始発駅でもある。津軽において、弘前より北では最大の町である。観光資源は少ないが、立佞武多の館は見ておく価値がある。
太宰治は、叔母が五所川原に住んでいたので、小さい頃よく五所川原へ遊びに来たようだ。
太宰治は「津軽」で五所川原を次のように紹介している。

「岩木川に沿うて五所川原といふ町が在る。この地方の産物の集散地で人口も一万以上あるやうだ。青森、弘前の両市を除いて、人口一万以上の町は、この辺には他に無い。善く言へば、活気のある町であり、悪く言へば、さわがしい町である。農村の匂ひは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄がこれくらゐの小さい町にも既に幽かに忍びいつてゐる模様である。大袈裟な譬喩でわれながら閉口して申し上げるのであるが、かりに東京に例をとるならば、金木は小石川であり、五所川原は浅草、といつたやうなところでもあらうか。」

立佞武多の館

駅から徒歩5分程度のところにある立佞武多の館には五所川原のねぷた祭りで使用される大型の立ちねぷたが3台保管、展示されている。
ねぷた祭りは青森県の各地で行なわれているが、その中でも青森市、弘前市それと五所川原のねぷた祭りが有名である。規模的には青森市、弘前市が大きそうであるが、五所川原のねぷたは高さにおいて優れているようである。高いねぷたは電線があって運行できないのが普通であるが、五所川原では運行通路の電線を地中に埋め込むことで対応している。
五所川原のねぷた祭りは毎年8月4日~8日の5日間開催される。立ねぷたは立佞武多の館に展示されている大型立ねぷた3台と町内会等で作られる中小ねぷたとあわせて合計15台前後が出陣する。
ここに展示されている立ねぷたは過去のねぷた祭りに出陣したもので、毎年、1台つづ古いものから作り直されている。

下から見上げた立佞武多

下から見上げた立ねぶた
下から見上げた立ねぶた
立ねぶた1
立ねぶた

毎年テーマが決められ製作されている。

下から見上げた立ねぶた
下から見上げた立ねぶた

上から見る立佞武多

エレベータで4階まで登り、そこから螺旋状階段で、立佞武多をいろいろな高さから見ることができる。

上から見た立ねぶた
上から見た立ねぶた

下って来るに従って、印象も異なってくる。

上から見た立ねぶた
上から見た立ねぶた

写真の部分の通路が開き、立ねぷたを外に出す。

立ねぶたの出陣通路
立ねぶたの出陣通路

螺旋状階段の側面にはねぷたの資料が展示されている。写真はねぷたの骨組みの模型。

立ねぶたの構造模型
立ねぶたの構造模型

津軽フリーパス

津軽地方を周遊するのであれば津軽フリーパスが断然便利である。五能線から入って来た場合、五所川原は津軽フリーパスの入口に当たる。津軽地方のJR、津軽鉄道、弘南鉄道、弘南バス路線の一部などが2日間乗り放題で1500円と割安である。五所川原から金木を往復、弘前まで行けばほぼ元が取れる値段である。
販売されているところが北東北地方の3県(青森、秋田、岩手)に限定されているのが不便である。私は盛岡のJRの切符売場で購入したが、係りの人が普段はあまり販売しない切符らしく、マニュアルを見ながら操作していた。