カテゴリー
五能線の旅 北東北の旅

五能線リゾートしらかみ号と車窓

以前から五能線を旅したいと思っていたので、秋田から青森県の五所川原までは海岸線を通る五能線を利用することにした。ローカル線をのんびり旅するには普通列車が一番であるが、時刻表を調べてみて、愕然とした。普通列車では本数が少なく時間がかかってあまりにも不効率なのである。そこで、「リゾートしらかみ号」を利用することにした。「リゾートしらかみ号」は2本走っており、早い「リゾートしらかみ号」に乗り、途中下車して、後の「リゾートしらかみ号」に乗ると、五能線のどっかの駅で観光することできる。どうもこの方法は五能線観光の定番となっているようだ。

そこで、秋田から「リゾートしらかみ1号」で十二湖まで乗り、十二湖を観光したあと、「リゾートしらかみ3号」の乗って五所川原に行くことにした。なお、観光シーズンになると「リゾートしたかみ号」は人気があり、予約できないこともあるので、注意する必要がある。今回の旅行、事前にネットですべて予約して行ったが、しらかみ号は予約が多くかなり厳しい状況であった。

丁度、低気圧が追いかけてきており、秋田で少し雨が降りだしてきたが、低気圧の移動よりしらかみ号の方が早いのか、なんとか曇り空のまま観光することができた。

リゾートしらかみ1号

秋田駅のリゾートしらかみ1号

しらかみ1号
しらかみ1号

「リゾートしらかみ1号」は秋田を発車したあと、しばらくは奥羽本線を進み、東能代に着くが、東能代は五能線の起点である。ここで、一度弘前方面に乗り入れた電車はスィツチバックして前後が反対になる。座席も向きを変える。このため、今までは左側の座席が右側になる。五能線はやはり海側の席が良いので、この影響は大きい。

東能代駅のホーム
五能線の基点、東能代駅のホーム

能代でバスケット

次の駅は能代。能代の名前は県立能代高校がバスケットボールで、58回の全国優勝を達成していることから全国的によく知られている。最近は少し調子が悪そうあるが、それでも駅構内にバスケットのゴールが作られ、停車時間の間に乗客にシュートさせてくれる。フリースローラインより少し手前からのシュートであるが、それでも感覚が鈍っているのでなかなか入らない。ゴールすれば記念品がもらえる。多くの乗客が降りて挑戦していた。

能代駅のホーム
バスケットのボードがる能代駅

海岸風景

能代からは白神山系などの山が迫っているため、五能線は海岸線の近くをよく走る。場所によっては海に突き出した岩がよく見える場所もある。

五能線の海岸風景
五能線の海岸風景

リゾートしらかみ号のサービス

リゾートしらかみ号は観光バスのようにサービス満点である。前の車両に展望デッキが設けられているし、見所の海岸ではスピードを落として見やすいように配慮してくれる。また、特定区間のトンネルでは照明を夜空を表したもに変更して旅のムードを盛り上げてくれる。

しらかみ号の照明
しらかみ号の照明

リゾートしらかみ3号

十二湖駅で下車して、十二湖付近を散策した。(関連項目参照)

十二湖駅からは「リゾートしらかみ3号」に乗る。

しらかみ3号
しらかみ3号

白神山系の山並み

しばらくすると電車は左にカーブする。左後方に白神山系の山並みよく見えるようになる。

白神山系の山並み
白神山系の山並み

海の奇岩

千畳敷の近くでは奇岩が多いように思った。

五能線の海岸風景
五能線の海岸風景

千畳敷駅では10分間の停車時間があるので、列車から降りて観光した。(関連項目を参照)

津軽三味線の生演奏

鯵ガ沢駅に着くと三味線を持った人が乗り込んで来て、先頭車両の展望ラウンジで津軽三味線の生演奏を聞かせてくれた。途中に前の方の席の人には掛け声を求められ、和やかな雰囲気になる。

しなかみ号の生演奏
しなかみ号の生演奏

岩木山の風景

鯵ガ沢を出ると海岸線から離れる。しばらくすると右側にまだ雪をかぶった岩木山が見えてくる。岩木山は津軽富士と言われるよう独立峰であるため、裾野までよく見え美しい。

車窓からの岩木山
車窓からの岩木山

津軽三味線の実演は五所川原までで、演奏した人も一緒に降りた。横浜から購入したJR切符も五所川原までで、あとは津軽フリーパスで旅行する。

カテゴリー
五能線の旅

日本キャニオン岩肌が崩壊した風景

奥十二湖に行く途中にアメリカのグランドキャニオンを思わせるような山の崩落風景があり、日本キャニオンと言われている。

日本キャニオンについて

五能線十二湖駅からバスで奥十二湖に行く途中に浸食崩壊によって凝灰岩の白い岩肌がむき出しになったU字谷大断崖の場所がある。探検家・岸衛がアメリカ合衆国のグランドキャニオンに似ているとの驚嘆したことから地元で「日本キャニオン」と命名された。規模からすると本場のミニチュア程度のものであるが、近くには行けば、日本にはあまりない風景であり、それなりに迫力がある。
見るポイントは二つある。一つは山の上から崩落した山を眺めるもので、もう一つは崩落現場の近くから見上げるものである。

展望台からの眺望

奥十二湖に行く途中に日本キャニオン入口というバス亭がある。その近くに案内板と山に登る道がある。細い山道を20分程度登れば崩落した山を見渡せる展望台に着く。この展望台は足場が悪く狭いので、視界が限定される。

日本キャニオンの崩落風景
日本キャニオンの崩落風景
日本キャニオン
展望台から見る日本キャニオン

下からの眺め

更に十二湖駅に向かって下ってくると、崩落した岩の下まで行ける場所がある。景観として優れているが、現地で案内版のようなものは一切なかった。多分、崩落すれば危険なため、立入禁止地区になっているのでないかと思う。ということで詳しい場所は記載しないが、平地を10分程度歩けば行ける。但し、はっきりした道はなく、それに川を数度渡らなければならない。

日本キャニオンの崩落現場
日本キャニオンの崩落現場
カテゴリー
北東北の旅

久保田藩の城下町ー秋田市

秋田市は久保田藩20万石の城下町として栄えた都市である。市内の中心部にある千秋公園には昔久保田城があったが、火事で消失し、現在は桜の名所となっている。秋田市は秋田県の県庁所在地であり観光施設も多い。

久保田城

秋田の地には奈良時代から平安時代にかけて城柵(出羽柵)が建設されていた。その後、城柵は秋田城と言われるようになった。この秋田城の跡は近くの高清水公園に残っている。この地を支配していた佐竹氏は当初、秋田城を拠点としていたが、手狭になり、1604年に久保田藩初代藩主の佐竹義宣が現在の千秋公園の地に窪田城を建設した。後に久保田城と改名している。戦国時代の佐竹氏は周辺大名と姻戚関係を結び、伊達氏や北条氏と拮抗する勢力を持っていた。藩は明治時代まで残った。城は明治13年の大火で建造物はほぼ焼失してしまった。その後、平成元年に市制100周年を記念して御隅櫓が復元。平成13年に絵図や資料を基に久保田城表門が再建されている。

木造2階建て瓦葺きの櫓門はこの素晴らしく、千秋公園の中では一番絵になる 。

久保田城の櫓門
久保田城の櫓門

復元された御隅櫓。内部は資料館となっている。

千秋公園の桜

秋田市の第一の観光地は千秋公園のようだ。千秋公園は旧久保田城一帯を公園として整備されたものでである。山城であったのか、公園全体が岡になっいる。公園に残る城跡の遺構と桜の対比がよいのか千秋公園は桜100選 にも選ばれている桜の名所である。残念ながら訪れた時は桜はすでに満開を過ぎ散り始めていた。それでも、多くの人が訪れていた。

千秋公園の内堀の桜。堀とのコントラストで比較的絵になる。

千秋公園の内堀の桜
千秋公園の内堀の桜

本丸辺りの桜。

久保田城本丸辺りの桜
久保田城本丸辺りの桜

高いところからは雪を頂いた山が見える。

千秋公園の高台
千秋公園の高台

旧金子家住宅

江戸後期の建築様式を残した旧金子家住宅。秋田市の代表的な町家であり、秋田市指定文化財となっている。

旧金子家住宅
旧金子家住宅

秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)

秋田市民俗芸能伝承館では竿燈、土崎港まつり、梵天などの秋田の民俗行事や伝統芸能が紹介されている。竿燈が飾ってあった。これを一人で持って演技するのは大変である。

秋田市民俗芸能伝承館の竿燈
秋田市民俗芸能伝承館の竿燈

秋田市立赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店)

秋田にある観光資料に載っている唯一の近代建築の建物で重要文化財に指定されている。外部を当時の秋田県技師山口直昭、内部を工学博士星野男三郎が設計し、明治45年7月に完成している。煉瓦造の2階建て、外観はルネッサンス様式を基調とし、基壇は灰色の男鹿石の切り積み、1階が磁器白タイル、2階が赤煉瓦で仕上げている。明治時代末期の本格的な煉瓦造洋風建築として貴重。現在は「秋田市立赤れんが郷土館」として秋田市の伝統工芸品が常設展示されている。

旧秋田銀行本店
旧秋田銀行本店

秋田は海が近いので魚が美味い。名物はやはり「切りたんぽ鍋」であろうか。

カテゴリー
北東北の旅

八津のカタクリ群生の郷

角館の桜の観光シーズンに合わせるように、秋田内陸縦貫鉄道沿線の八津駅の近くにあるカタクリ群生の郷が開園される。その規模は東京ドームの4倍強に及ぶ。カタクリ群生の郷では山には見頃のカタクリが群生していた。

秋田内陸縦貫鉄道

秋田内陸縦貫鉄道(秋田内陸線)は秋田県の南の角館駅から北の奥羽本線の鷹巣駅を結び、秋田マタギの里とされえる山奥に分け入る全長が94.2kmに及ぶ鉄道路線である。
八津は角館から秋田内陸縦貫鉄道で14分と近く、山奥に入る手前にある駅である。しかし、電車の本数が少なく事前の計画が重要である。

八津駅を出た内陸縦貫鉄道の電車。

秋田内陸鉄道の列車
秋田内陸鉄道の列車

カタクリ群生の郷

カタクリ群生の郷は八津駅を降りて、踏み切りを渡り、5分程度歩いたところにある。踏み切りと反対側方向に大きな駐車場とカタクリ館がある。
カタクリ群生の郷の規模は20ヘクタール(東京ドーム4.2個分)にも及ぶが、整備された独立した公園ではなく、地元の人達が共同して付近の山にカタクリを育てたというような場所である。入園料もカタクリ館で支払う必要はなく、踏み切りのところで地元の人が入園料を徴収していた。

カタクリの群生
カタクリの群生

管理されているのは半径1キローに及ぶ広大エリアであり、散策コースが「一番咲きコース」「遅咲き林間コース」など五つ作られている。各コースによって咲く時期が異なるようで、地元の人がその時期一番適当な場所に誘導していた。

誘導された場所では、少し山を登った斜面に見ごろのカタクリが群生していた。更に奥に散策するコースがあったが、この辺りが一番見ごろと聞いたので、その場所で、写真を撮り引き返した。時間があれば、周遊するコースはいろいろあるようである。

カタクリの花
カタクリの花

ベンチなどおにぎりを食べる適当な場所がなかったので、管理小屋の中で食べさせれもらった。

カテゴリー
北東北の旅

角館の桜と武家屋敷の町並み

角館は重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている上・中級武士の武家屋敷の町並みが残った風情のある町である。町の各所で京都から持ち込まれたシダレザクラが立派に育成され、見事な花を咲かせている。また、近くの桧木内川には桜の木が2キロにわたって植えられており、豪快な桜のトンネルを作り出している。

角館駅から遠い武家屋敷

盛岡から角館までは秋田新幹線「こまち」で45分ほどである。「こまち」はすべて座席指定であるが、盛岡ー秋田間だけは立席特急券が発行される。行った時も通路には多くの人が立っていた。
重要伝統的建造物群保存地区の武家屋敷や桜並木のある場所は近いところでもJRの駅から600メートル程度、遠い所では1.8キロ程度離れており、単純に計算して往復するだけでも小1時間かかる。ただ、観光バスの場合は桧木内川の近くに大きな駐車場があり、観光スポットを手軽に見学できる。

角館駅で手荷物を駅のロッカーに預けたかったが既に一杯で仕方がなく担いで行くことにした。もっとも、ロッカーは近くの観光案内では空いていたようであり、カタクリ群生の郷に行ったときはここのロッカーを利用した。

重要伝統的建造物群保存地区の武家屋敷の町並み

観光地区ではあるが、比較的角館駅に近い情報センターのロッカーが空いていたので利用した。先ずは比較的観光客が少ない田町武家屋敷の辺りを見学した。この地区は昔の屋敷そのものが残っている家は少ないが、町の雰囲気を壊さないように板塀などで統一されている。桜の木は少ないが随所に、風情のある姿で植えられており、黒い板壁との対比が素晴らしい。

角館の町並み
角館の町並み

角館は秋田の久保田城を拠点とする佐竹一族と関連する藩である。佐竹一族は本家の他に有力な4家(東家、西家、南家、北家)があり、その一つの北家が角館を治めていた。

角館下新町
角館下新町

小京都の角館

1656年に佐竹氏の分家である佐竹北家の佐竹義隣が角館に入りったが、佐竹義隣は京の公家と関係が深く、二代目の佐竹義明も公家の娘を正室に迎えたことから角館には多くの京文化が移入された。以後11代明治時代まで佐竹家は続いた。枝垂桜も京都から持ち込まれた。

角館の桜
角館の桜

黒板塀の中の家の多くは一般の家や施設を囲んだものであるが、中には県や市の文化財に指定されている青柳家、石黒家、松本家など数軒の建物がある。家の中を有料で見学できる。

文化財の家
文化財の家

武家屋敷の桜

武家屋敷を構成する町は広く。主要な道路だけでも1キロ以上に及ぶ。観光地のメインである表町に近づくに従って観光客も増加してきた。武家屋敷地区の桜は殆どが枝垂桜である。どこか優美である。

表町武家屋敷。観光バスのターミナルも近く、この辺りは観光客で溢れている。桜は見事であるが、町の風情は感じられなくなる。駅からは一番遠く離れている場所となる。

角館の桜
角館の桜
角館表町
角館表町

桧木内川の桜

桧木内川堤には全長2kmに渡って400本のソメイヨシノが植えられ、武家屋敷の枝垂桜とは違った豪快な桜並木を作り出している。

桧木内川堤の桜
桧木内川堤の桜

この近くには観光バスの駐車場があり、多くの観光客がいた。

桧木内川堤の桜のトンネル
桧木内川堤の桜のトンネル
カテゴリー
盛岡の旅

盛岡で桜見物

盛岡市の桜の名所である盛岡城跡公園と石割桜、それと岩手大学旧正門前の桜並木を見学した。今回の旅行では角館、弘前の桜の開花に照準を合わせて日程を組んだので、盛岡の桜はすでに盛りを過ぎていたが、部分的には満開に近い桜もあり、それなりに楽しめた。

盛岡城址公園の桜

ここは日本の桜100選にも選ばれている桜の名所である。広い公園の随所に桜の木が植えられいる。また、石垣も多く残っており、絵になる場所が多い。桜と石垣とのコントラストは素晴らしい。

盛岡城の石垣と桜
盛岡城の石垣と桜

公園の広場の桜

盛岡城址公園の桜
盛岡城址公園の桜

石割桜

盛岡地方裁判所の構内に立派な桜の木がある。木も風格があるが、なによりも、幹の根元に大きな花崗岩が横たわっており、桜はこの花崗岩を割るように生えている。信じられない光景であるが、その生命力の強さに関心した。これについては、南部藩主の北監物の庭園にあった巨石に落雷し、割れ目ができ、そこにエドヒガンザクラの種子が入り込み成長したという言い伝えが残っている。
行ったときは桜のシーズンは殆ど終わっていたが、まだ多くの観光客が訪れ、珍しい桜の姿を写真を撮っていた。国の重要天然記念物に指定されている。

盛岡の石割桜
盛岡の石割桜

岩手大学の旧正門の桜

観光地とはなっていないが、岩手大学農学部の旧本館を見学したあと旧正門から帰ったが、門を出たあと200メートルほど桜の並木が続いている。まだ満開に近く盛岡の桜ではここが一番素晴らしかった。

岩手大学旧正門前の桜
岩手大学旧正門前の桜

その他の桜の名所

今回行けなかったがネットで次の場所などが桜の名所として有名のようだ。

  • 高松公園 :日本の名所百選に選ばれている桜の名所
  • 龍 谷 寺:モリオカシダレ
  • 米内浄水場:ヤエベニシダレ(県指定保存樹木)
カテゴリー
北東北の旅

盛岡城と南部藩

盛岡城は清和源氏の流れを汲み、岩手県北上市から青森県下北半島を一帯を領有していた外様大名南部藩の本拠地である。南部氏は平安末期に東北に根を降ろしてから明治の初めまで生き残った珍しい一族で、他には島津しかいない。

南部藩の起源

南部氏は武田と同じ清和源氏の分家の流れを汲む一族であり、功績により現在の山梨県南部町を拝領した。この時から地名と同じ南部姓を名乗るようになった。
平安時代末期に源頼朝が奥州藤原氏討伐に乗り出したとき、南部三郎光行も参加、その功績により糠部五郡(現在の青森県から岩手県)を拝領した。しかし、実質的に支配した時期は定かでない。
青森県三戸郡南部町は南部三郎光行が上陸し、宿をとったことから、町の名前が付いたとされる。山梨県南部町は南部氏発祥の町として、青森県南部町は南部藩発祥の地として、現在でも交流があるとのこと。

室町時代まで

鎌倉時代、南北朝時代、室町時代と時の権力者の移り変わりにより南部氏も変遷はあるが、最初に根拠地としたのが、八戸城(根城)で、その後、三戸を根拠とする「三戸南部氏」と「八戸根城南部氏」に分かれている。また、津軽への防衛措置として、七戸にも城を築いている。

戦国時代

戦国時代に豊臣秀吉が全国統一に乗り出し小田原城を攻めたとき、三戸南部の南部信直は参陣している。南部信直は宇都宮で秀吉との謁見を許され、所領安堵の朱印状を与えられている。その後、八戸南部の九戸政実が反乱(九戸政実の乱)を起こすが、豊臣秀吉に鎮圧されている。この結果、八戸南部は三戸南部の管理下に置かれ家臣との位置付けになった。

盛岡城の築城

九戸政実の乱後、所領の改変が行なわれ、三戸南部の所領から津軽、比内が取り上げられ、代替地として小田城攻めに不参加の藩の領地、和賀郡、稗貫郡の2郡が加増された。所領が南部に広がつたことにより、従来の本拠地では北により過ぎて統治には不便なことから現在の不来方(盛岡)に本拠地を置くことを勧められた。南部信直が朝鮮出兵のため名護屋に滞陣中に、秀吉の許可を得て、不来方城(盛岡城)築城が開始された。しかし、不来方城と城下の町並の整備が一応完成したのは1608年南部利直の時代になってからことである。その後も本丸が消失したりして、城や町の整備は続いた。盛岡城を本拠としたことにより、南部藩は、盛岡を本拠とした南部藩(盛岡藩)、八戸城に藩庁を置いた八戸南部藩、七戸城に藩庁を置いた盛岡藩の支藩、盛岡新田藩となった。

盛岡城は現在の盛岡市中心部にある現在の岩手公園の地の花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城である。建造物は明治初頭に解体された。現在は岩手公園として整備され宮沢賢治の詩碑や石川啄木の歌碑などがある。現在でも立派な石垣が殆ど残っており、城址としての雰囲気は十分である。

岩手公園の地図

[map zoom=”15″ width=”100%” height=”300px” lat=”39.7001″ lng=”141.151″][/map]

カテゴリー
盛岡の旅

盛岡の近代建築

盛岡には近代建築など趣のある建物が多く残されている。市も保存に力を入れているようである。盛岡の観光地となっている建造物は中の橋、紺屋町など盛岡城跡公園の近くに集中している。盛岡ではそれらの建造物を重点的に見た。

宣教師館

盛岡駅から公園に行く途中の大沢川原に趣きのある建物が建っていた。これはジャーマン・リフォームド・チャーチ教団が下ノ橋教会に派遣した宣教師のために大正9年に建てた宣教師館で、大正時代の純洋館として貴重とされ盛岡市の保存建造物に指定されている。

盛岡の宣教師館
盛岡の宣教師館

岩手銀行中ノ橋支店(旧盛岡銀行)

城跡公園から中ノ橋の渡り少し歩いたところに国の重要文化財に指定されている岩手銀行中ノ橋支店(旧盛岡銀行)がある。この建物は東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎で有名な建築家辰野金吾が設計したもので、明治44年に旧盛岡銀行本館として建設されている。

外観は煉瓦造り2階建て、1部3階建ての部分がある。建物正面は六角形の平面でこの部分だけが3階となっており、柱飾りやレリーフで正面性を演出している。外壁は辰野金吾が得意な赤煉瓦を主体とし、白色の花崗岩をライン状にはめ込み水平を強調している。

辰野金吾の設計した東京駅駅舎や旧高岡共立銀行本店も見たがどれも素晴らしい。どうもこれは盛岡銀行本店の設計で得た経験が自信になっているのであろう。北東北の旅行の中で見た近代建築の中では一番気に入った。

岩手銀行旧本店
岩手銀行旧本店

もりおか啄木・賢治青春館(旧第九十銀行)

紺屋町とは反対方向になるが、近くに啄木・賢治青春館(旧第九十銀行)がある。この建物は旧九十銀行本店本館として明治43年(1910)12月に竣工。19世紀末の欧州での建築運動をいち早く反映させたものとして、国の重要文化財になっている。現在は資料館になっており、盛岡で青春時代を過ごした石川啄木と宮沢賢治の資料が展示されている。

内部には営業室、金庫室、頭取室、応接室、総会室などの部屋がある。当時の銀行の様子を知ることが出来て興味深い。現在は石川啄木や宮沢賢治に関する企画展や盛岡ゆかりの美術展などが開催されている。青春時代を盛岡で過ごした石川啄木や宮沢賢治の足跡を知ることが出来て興味深い。

啄木・賢治青春館(旧第九十銀行)
啄木・賢治青春館(旧第九十銀行)

旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店)

紺屋町に行く途中に旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店)がある。これは葛西建築事務所の設計で、昭和2年に竣工している。盛岡市の保存建造物に指定されている。

旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店
旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店

 紺屋町番屋

その先の十字路のところに紺屋町番屋があった。これは盛岡消防の「よ組」の番屋として大正2年に建てられ建物で、消防施設の変遷を知るうえで貴重な建物とのこと。

岩手大学の重要文化財建築

上の橋からはかなり離れているが、岩手大学の重要文化財に指定されている建物を見に行った。岩手大学の構内は関係者以外立入禁止となっているが、重要文化財の写真を撮らせてもらうということで無断で入った。

盛岡高等農林学校旧本館

宮沢賢治も6年間学んだ木造の国の重要文化財の校舎。シンプルで非常に美しい校舎である。

盛岡高等農林学校
盛岡高等農林学校

木造の門番所

旧正門の横に木造の門番所の建物があった。これも国の重要文化財に指定されている。

盛岡高等農林学校の木造の門番所
盛岡高等農林学校の木造の門番所