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草千里ヶ浜の散策

当初の計画では阿蘇山の火口付近を散策する予定であったが、数日前に阿蘇が噴火したため、ツアーは草千里ヶ浜の散策に変更になった。

草千里ヶ浜の場所

草千里ヶ浜とは

阿蘇山の標高1140m にある草原である。NHKのブラタモリでも取り上げていたが、壊滅的な噴火によって烏帽子岳と杵島岳の間に直径約1キロメートルの二重火口跡ができたものである。現在は牛馬が放牧されのどかな風景となっている。

ツアーでは1時間ほど草原の少し高いところを選びながら半周した。途中に水が溜まっている場所もある。

どのような花が咲いているか、どのような動物が生活しているのかなど生態系の説明が多かった。

草千里水溜り
草千里水溜り

野焼きの必要性

草千里の端の方に行くと枯れ草が草原を覆っていた。この状態で3年程放置すると枯れ草がはびこり草原の顔が失われていくとのことで、定期的に山焼きされている。山焼きする範囲は地域ごとに分担されている。

草千里の枯れ草
草千里の枯れ草

阿蘇の噴火の様子

行った時は数日目に阿蘇山が再び噴火したとのことで、火口付近は入山禁止となっていた。草千里からは阿蘇山の火口からも近く、 噴煙を上げているのもよく見える。山頂の様子は時間によって刻々と変わっていた。

写真は少し拡大したもので、草千里が浜からはここまで近くには見えません。

阿蘇の噴火
阿蘇の噴火
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阿蘇周辺の360度の景観:大観峰

大変見晴らしのよい場所である。阿蘇五岳、九重連山も見渡せる。但し、対象が遠方であるため、風景も大味である。

パノラマ写真外輪山の方向
パノラマ写真外輪山の方向

大観峰について

大観峰は阿蘇山の北の外輪山の中で最高地点( 標高936メートル )となるところにある。 名前は文豪の徳富蘇峰がつけたものである。

なだらかな山であるが、周囲に高い山はないので、遠くまで見渡せる。阿蘇五岳や遠くに九重連山も一望することができる。比較的近くには阿蘇のカルデラやそのカルデラの壁を見ることができる。

パノラマ写真阿蘇方面
パノラマ写真阿蘇方面

大観峰の場所

下に広がる人家は阿蘇市。遠くに阿蘇五岳。

阿蘇五山の方向
阿蘇五岳方向
九重連山の方向
九重連山の方向
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耶馬溪の景観と手彫りの洞窟:青の洞門

江戸時代に手掘りで造られた洞門は歴史的価値が高く大分県の史跡に指定されている。 洞門の上には耶馬溪の競秀峰の岩壁がそそり立ち景観としても素晴らしい。

青の洞門について

青の洞門を見ているだけでは、単に岩に掘られた道でしかないが、観光にはそのいきさつを知ることが重要である。

江戸時代、競秀峰の高い岩壁がそそり立つこの区間の道は鎖を命綱にしただけの非常に危険なもので、毎年、多くの人が命を落としていた。

諸国を巡礼していた禅海和尚が耶馬渓へ立ち寄ったとき、この話を聞き心を痛めた。そこで、禅海は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで岸壁を掘り始め、30年の年月をかけて全長342メートル、うちトンネル部分の合計が約144メートルある洞門を貫通させた。

現在は拡張工事が施され、自動車が通れる道路になっており、当時の洞門とは大部分異なっている。

青の洞門の入口
青の洞門の入口

しかし、一部であるが、川側に降りると江戸時代の手彫り部分の洞門も残っており、当時の苦労を伺い知ることができる。その他にも川側の外から当時の箇所と思われる場所が幾つか見ることができる。

青の洞門手彫り区間
青の洞門手彫り区間

川沿いが難所であれば、山の上を通ればよいと思うが、確かに、この用に奇岩の岸壁では、上を通ることも難しそうである。

耶馬溪の奇岩
耶馬溪の奇岩

青の洞門のある場所

大分県中津市の耶馬渓、山国川に面し競秀峰の裾に位置する。JR日豊本線の中津駅からバスで約30分である。

菊池寛の「恩讐の彼方に」

実際の話はあまり面白くないが、菊池寛がこの手彫りの洞窟を素材として「恩讐の彼方に」という短編小説を創作している。

これは仇討ちの要素を取り入れた非常にドラマチックな話になっており、子供の頃読んでがまだ記憶に残っている。

耶馬溪の景勝地

青の洞門の上は耶馬渓の奇岩競秀峰がそそり立ち、景観が素晴らしい。耶馬日田英彦山国定公園の域内にも含まれている。特に晩秋の紅葉時期が素晴らしいとのこと。

洞門からはこの景観を見ることができないが、洞門を山国川に沿って進むと、対岸に渡る橋がある。 対岸には大きな駐車場もある。

青の洞門の景観
青の洞門の景観
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九州一の格式を誇る宇佐神宮

九州で歴史も古く最も格式のある神社である。現在でも祭祀の時には10年に一度、天皇から勅使が遣わされる勅祭社となっている。

宇佐神宮について

宇佐神宮(宇佐八幡神社)は大分県宇佐市にある神社で、全国に約44,000社ある八幡宮の総本社となっている。主祭神は一之御殿:八幡大神 (応神天皇)、二之御殿:比売大神 (多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)、三之御殿:神功皇后である。

皇室が先祖に対して祭祀を行う二つの廟( 二所宗廟)がある。これに伊勢神宮と石清水八幡宮が選ばれている。本来は宇佐神宮が選ばれるべきであったが、遠国であることから近くの京都に宇佐神宮から勧請して石清水八幡宮が創立されたものである。このことから、宇佐神宮と石清水八幡宮は同一と考えてもよい。

また、鎌倉の鶴岡八幡宮は源頼義が石清水八幡宮から勧請して創建された神社で、宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮が三大八幡宮といわれることもある。

宇佐八幡宮神託事件

一般人が天皇になろうとした唯一の人物として弓削道鏡いる。道鏡は「道鏡が皇位に即けしめば、国平らかならん」と宇佐八幡神宮から神託があったと偽つた。称徳天皇はこの真偽を確かめるため、和気清麻呂を宇佐八幡神宮に出向かせて偽りであることを確認している。

宇佐神宮の場所

宇佐神宮の境内

宇佐神宮は広大な境内を持っている。大鳥居から上宮へ行くのに10分程度は歩かなければならない。

大鳥居

大鳥居
大鳥居

広い境内

大鳥居から200メートルほど歩くと神宮庁や御朱印受付など事務棟がある。

宇佐神宮の境内
宇佐神宮の境内

上宮と外宮の分岐点

更に100メートル程度あるくと上宮と外宮への分かれ道に着く。それぞれの鳥居が建っている。

外宮の鳥居
外宮の鳥居

上宮への参道

上宮は鳥居をくぐったあと、なだらかな山道となる。200メートル程度歩くと西大門に着く。

上宮への参道
上宮への参道

西大門(県有形文化財)

上宮の入り口の門。

上宮の西大門
上宮の西大門

西中門

西大門を入ると西中門に突き当たる。この中に本殿はあるが、参拝は南に回り込んで、南中楼門のある方向から行う。西中門の前には天皇が参拝された時に記念立て札が建ってあった。

宇佐神宮の西中門
宇佐神宮の西中門

南中楼門(県有形文化財)

南中楼門の中に国宝の上宮本殿があるが、一般の参拝客は楼門までしか入れない。拝礼する場所は3箇所あり、 それぞれ一之御殿:八幡大神 、二之御殿:比売大神 、三之御殿 : 神功皇后 に対応している。

南中楼門
南中楼門

外宮の拝殿

外宮の鳥居から少し歩くと外宮の拝殿に着く。ここも拝礼する場所は3箇所ある。

宇佐神宮の下宮
宇佐神宮の下宮

若宮神社(重要文化財)

上宮の参道の側に若宮神社がある。古い建物で国の重要文化財に指定されている。

若宮神社
若宮神社

高倉(県有形文化財)

外宮の鳥居を入って直ぐにある。 祭器具等が納められている。味のある建物である。

高倉
高倉

能舞台

広い境内の中に池があり、その上に能舞台が作られている。境内は広く、丹念に散策するには時間がかかる。

能舞台
能舞台

呉橋(県有形文化財)

和気清麻呂などが通った昔の参道上にある橋。10年に一度の勅旨際の時だけ使用される。

呉橋
呉橋

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荘園遺跡田染荘と熊野磨崖仏

国東半島にある古い荘園の様子が推測できる田染荘と大きな磨崖仏はある熊野磨崖仏を観光した。この二つは景観よりもウォーキング的な要素が強い観光地である。

荘園遺跡田染荘(重要文化的景観)

宇佐神宮は千年の昔から国東半島にも多くの荘園を持っていた。国東半島の田染荘には現在も当時に近い荘園が残っており、昔の方法で栽培され、古い田園風景を見ることができる。現在の畑と比べて特別美しいかは疑問であるが、現在の畑は機械を入れるので、形状が長方形に区切られていることが多いが、昔は機械のことを考慮する必要がなかったので、小さくて丸みを帯びている区画もあるということのようである。

田染荘の田園風景
田染荘の田園風景


田園風景をの全体を眺めるために一般の観光客はまず訪れることがない少し高台に登らされた。

今回のツアーはハイキングが目的だったので このような場所にも行った。そこには夕日観音といわれる小さな石仏があった。写真では大変そうに見えるが15分程度登るだけである。

夕日観音のある所
夕日観音のある所
夕日観音
夕日観音

熊野磨崖仏(重要文化財)

田染荘から車で15分程度のところ田原山の山麓に重要文化財になっている大きな磨崖仏がある。

今熊野山胎蔵寺の脇から山道を300メートルほど登ると、鬼が一夜にして積み上げたという伝説が残る自然石を乱積にした石段がある。伝説では99段だが、実際はそれより多そうである。急激な階段であるが、手摺を掴みながら半分手で登った。

鬼が積んだと言われる階段
鬼が積んだと言われる階段

山の上には7メートル弱の大日如来像と8メートルの不動明王三尊像の2体の摩崖仏が彫られている。メインは大日如来像であるが、大きな不動明王三尊像の方に目が行く。

彫られた時期は平安時代と推測されている。

大日如来像

薬師如来像でないかとという説もあるが、現在は大日如来ということで落ち着いている。 なお、重要文化財の指定名称は如来形像である。

大日如来の石仏
大日如来の石仏

不動明王三尊像

不動明王は一般的に怒った顔をしていることが多いが、この像はユーモラスである。剣を持っているので、これは不動明王に間違いないだろう。

不動明王の石仏
不動明王の石仏

神像

不動明王三尊像の横には僅かに顔と推測できる石仏がある。これはここが熊野神社の境内であることから熊野三山と縁のある家津御子大神、熊野速玉大神で、 右側にもに夫須美大神の像があったのでないかと推測されている。

神像
神像

石段を登りきると熊野神社がある。この場所は来るのも大変なので、ウォーキングを目的とした旅行でない限りあまり訪れない石仏であろう。

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古い町並みが残る杵築市

杵築市は杵築藩(木付藩)松平氏の城下町として栄え、国東半島の政治・経済の中心地であった。現在でも国の伝統的建造物群保存地区に指定されており、随所に趣きのある武家屋敷の町並みが残っている。JR杵築駅からかなり離れているので交通は不便であるが、趣きのある町であり行ってみる価値はある。

ふるさと産業案内所の住所

古い町並みの起点となる場所は「ふるさと産業案内所」である。JRの杵築駅からかなり離れており、タクシーやバスを利用して行かなければならない。本数は少ないがバスで直接別府方面に出ることもできる。

杵築城について

杵築城の歴史は古く、室町時代初期に大友氏の一族である木付氏によって八坂川の河口にある高台に築かれた。戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台にもなっている。その後、この地を治めた領主は目まぐるしく変わっているいるが、江戸時代に入り旗本であった小笠原忠知が4万石の大名に取り立てられ、木付藩を起こした。最終的には豊後国高田藩の松平英親がこの地に移封され、明治維新まで領有した。 途中に事務手続き上の行き違いから木付藩から杵築城に変更されている。

城は江戸時代に震災や暴風雨によって天守などが損壊されため、高台の北側に移された。その後、時代が安定するに伴い山の上の建物群は廃止されている。

現在、城跡は公園として整備され、山の上の天守閣の跡地にコンクリート製の天守閣が建てられている。中身は博物館になっており杵築市に関係のある有名人物の碑品が展示されている。この城に歴史的な価値はないが、高台に建っているため、眺望は素晴らしい。

杵築城
杵築城
杵築城からの眺め
杵築城からの眺め

公園には古い石仏が集められている。

杵築公園の石仏
杵築公園の石仏

坂に特徴がある杵築の城下町

杵築藩の上級武士は南北に分けられた高台に住んでいた。杵築城は東側の高台にあり、どこに行くにも坂を登り降りしなければならなかった。
「 ふるさと産業案内所 」から北の武家屋敷台地(北台)に登る坂は番所の坂と言われている。坂の上に番所がある。

番所の坂
番所の坂

北台からお城に行く坂は勘定場の坂と言われている。はるか先の岡の上に杵築城の天守閣が見える。

勘定場の坂
勘定場の坂

北台の武家屋敷から坂下の商人の町に行く坂は酢屋の坂と言われている。石畳の坂に周囲の石垣と土塀が印象的で杵築で最も有名な坂となっている。

酢屋の坂
酢屋の坂

商人の町から南台の武家屋敷に行く坂は塩屋の坂と言われている。

いろいろ坂はあるが、比較的ゆるやかな坂で歩きやすい。これは家老たちを運ぶ馬や駕籠の担ぎ手の歩幅まで計算されて作られたからだと言われている。

北台の武家屋敷

北台にはまだ趣のある武家屋敷が残っている。通りは壊れかれた土塀が印象的である。

北台武家屋敷町
北台武家屋敷町

武家屋敷の大原邸

幾つかの武家屋敷が公開されているが、その一つの大原邸を見学した。 入り口の長屋門。 趣きのある茅葺の屋根。それに立派な庭があった。

大原邸
大原邸
大原邸の庭
大原邸の庭


杵築市は着物での観光を推奨しており、着物を着ていれば無料となる武家屋敷もあった。

南台の武家屋敷

南の台地にも武家屋敷はある。時間がなかったので、見学は大幅に省略した。

南台の武家屋敷
南台の武家屋敷

商人の町

北台と南台に挟まれた坂下は商人の町である。現在でも雰囲気のある町つくりが行われている。

商人の町
商人の町
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変化のある温泉を見学する別府地獄めぐり

天然に湧き出している様々な種類の温泉を地獄と称して、公園のように整備している。その内、別府地獄組合に加入している7つの温泉(地獄めぐり)の入場券がセット販売されていたので、見学した。

地獄めぐりの場所

7つの地獄の内、鬼石坊主地獄 、海地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄の5つは別府駅からバスで20分程度かかる「鉄輪」にある。鉄輪行のバスにの乗れば終点である。血の池地獄、龍巻地獄の二つは「鉄輪」からバスで10分程度かかるところにある。 この地獄は別府駅より亀川駅の方が最寄駅になる。

一番高いところにある鬼石坊主地獄 、海地獄から見学するのが楽である。
海地獄、血の池地獄、龍巻地獄、白池地獄が国の名勝に指定されているが、その地獄は多少スペースが広く、景観に優れている。内容の面白さは別である。

鬼石坊主地獄

泥の温泉が湧き出している。丸く膨れ上がり坊主頭のようになるので、この名前がついたのであろう。

鬼石坊主地獄
鬼石坊主地獄

海地獄(国の名勝指定)

見学した温泉の中で一番蒸気が強く噴き出していた。また、7つの温泉の中で一番広い。

海地獄
海地獄

鬼山地獄

温泉の熱で熱帯性の動植物が育てられていることがある。ここの売りはワニである。大きなワニもいたが、水槽に飼われていた子供のワニがよかった。

鬼山地獄
鬼山地獄

かまど地獄

温泉をいろいろ工夫して見せていた。温泉の色は天候や地層によっていろいろと変化するとのこと。かまど地獄では地下の異なる粘土層が溶けて、違う色の温泉ができていた。

かまど地獄2
かまど地獄2
かまど地獄
かまど地獄

白池地獄(国の名勝指定)

池が白濁していることからこの名前が付いた。

白地地獄
白地地獄

血の池地獄(国の名勝指定)

池の色からこの名称が付いたと思われる。

血の池地獄
血の池地獄

龍巻地獄(国の名勝指定)

間欠泉である。30分~40分をサイクルにして、温泉が噴出したり、止まったりしている。次に噴出する時間がおおよそ推測できるので、その頃になると見学する人が増加する。ただ、残念なのは温泉が飛び散らないように蓋がしてあり、豪快さに欠ける。

50年程前に見学した微かな記憶によると、昔は自然の中でいろいろな種類の温泉が湧き出していたように思う。現在は全体的によく整備され、野性味に欠けるように感じる。

クラブツーリズムの記録

クラブツーリズムのツァーは毎日のオプションツアーの集合であるが、中日に一日だけ自由行動日がある。別府温泉巡りはこの自由行動日に訪れたものである。

我々はホテルの送迎バスで別府駅まで行き、そこからバスで鉄輪まで乗った。見学したあとは龍巻地獄から近い亀川駅に出て、次の目的地である杵築市に向かった。

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61体の国宝の石仏がある臼杵摩崖仏

大分県の臼杵市の郊外にある岩に60余の石仏(摩崖仏)が彫られている。どの仏像も素晴らしいことからほぼすべての仏像が国宝に指定されている。それぞれの仏像に特徴があり、個数も多いことから見ごたえがある。

臼杵石仏の概要

臼杵駅からバスで20分ほどの距離にある。臼杵ICからも近い。

ほぼすべての彫刻が国宝に指定されているが、その説明文は以下に通りである。

「 臼杵石仏は、豊後地方に集中して存在する平安時代の磨崖仏のなかで最大の規模を誇り、かつ出来ばえが最も優れた石仏群として広く知られている。これらは丘陵斜面の熔結凝灰岩の露出した部分を開鑿して造られたもので、大略四群(古園、山王山、ホキ第一群、同第二群)に分かれており、いずれも比較的浅めの龕を穿って高肉彫の手法で計五九躯の仏体を刻み出している。その造営に関する史料は知られていないが、作風からみて、平安後期にその規模の大半をそなえ、鎌倉時代に一部追加されたと思われる。」

「本石仏群は昭和三十七年に重要文化財に指定された当時、すでに経年による損傷が甚しく、頭部や仏体の一部を割落するものも少なくなかった。昭和五十五年度から平成五年度にかけて行われた美術工芸品としての保存修理によりそれらは小断片に至るまで母岩に接合復元することができ、四群それぞれ面目を一新した。その結果、龕の前面に仮に置かれていた頭部が復位された古園石仏の大日如来像をはじめ、これらの彫刻作品としての偉容の全貌がここに明らかになり、今回、国宝指定の運びとなったものである。」 (国宝の説明文より)

臼杵摩崖仏は大きく4つに分かれている。地名によって、ホキ石仏第1群、ホキ石仏第2群、山王山石仏、古園石仏と名づけている。

ホキ石仏第二群

入口から最初に立ち寄るのはホキ石仏第2群で、ここの石仏は大きく二つに分類できる。

「同第二群第一龕は丈六の定印阿弥陀坐像に両脇侍立像を配する三尊像である。これらは温雅な藤原様式を示し、当代木彫像の優品に較べて遜色のない作行を見せている。」(国宝の説明文より)

阿弥陀三尊像である。中央に阿弥陀如来が祀られている。左右に観音菩薩と勢至菩薩を従えている。この阿弥陀如来は臼杵石仏の中で最大の大きさである。

阿弥陀三尊像
阿弥陀三尊像

向かって右側の観音菩薩立像。

観音菩薩立像
観音菩薩立像

向かって左側の勢至菩薩立像。

勢至菩薩立像
勢至菩薩立像

「九品の弥陀」と呼ばれ、比較的小さな阿弥陀如来仏像が9体彫られている。

九品の弥陀
九品の弥陀

ホキ石仏第一群

「ホキ石仏第一群の第一・二龕はともに五尺を超える如来坐像三体を並置し、前者ではその左右に脇侍菩薩立像各一体が添えられている。」(国宝の説明文より)

大きく4つに分類できる。それぞれの構成では同じ作者が彫ったのか仏像は同じような顔をしている。

第1は、大日如来坐像を中央に左右に釈迦如来と阿弥陀如来が控え、左右に2体の菩薩立像で構成されている。なお、仏像名はあくまでも後年学者によって推定されたものである。

大日如来など
大日如来など

第2は中央に阿弥陀如来坐像、左右に薬師如来坐像、釈迦如来坐像の3体 である。

阿弥陀如来坐像など
阿弥陀如来坐像など

第3は阿弥陀如来像ほか。

阿弥陀如来像など
阿弥陀如来像など

第4は中央に地蔵菩薩半跏像が彫られ、左右に5体づつ十王像が並ぶ。

地蔵菩薩半跏像と十王像
地蔵菩薩半跏像と十王像

五輪塔(重要文化財)

途中、脇道から20メートル程度山を登ったところにある。

五輪塔
五輪塔

山王山石仏

ホキ石仏第一群から50メートルほど山を登ったところにある。

「山王山石仏は丈六の如来坐像の左右に脇侍如来像を配する三尊で、やや素朴な作風は平安後期のこの地方における石仏造像の水準を示している。」(国宝の説明文より)

三体の如来像で構成されている。どの像もなかなか見事とである。

中央に釈迦如来像、左右にも少し小柄な薬師如来像と阿弥陀如来像で構成されている。通称「隠れ地蔵」。

釈迦如来像
釈迦如来像

少し小ぶりな薬師如来像

薬師如来像
薬師如来像

小ぶりな阿弥陀如来像。

阿弥陀如来像
阿弥陀如来像

古園石仏

「古園石仏は丈六の金剛界大日如来像を中心に仏・菩薩・天部を左右六体ずつ並べる構成になり、その張りのある堂々とした造形や、中尊および菩薩の一体の頭部を完全に岩から離して丸彫りとし、各像とも岩層の足りない下半身の一部を別材から造り足す技法を用いるなど、石仏群中で最も注目すべき存在である。」(国宝の説明文より)

古園石仏の全体風景。通称、古園十三仏とも言われ、上記説明文の通り臼杵石仏を代表する石仏となっている。

古園石仏1
古園石仏1

大日如来像の個別写真。崩壊や破損が甚だしかったので、修復工事が行われている。

古園石仏2
古園石仏2

この金剛力士立像は当初国宝リストに含まれていなかったが、追加認定された。これで、61体が国宝となった。向かって右側の像は輪郭がはっきりしているが、左側の石仏は定かでない。

金剛力士立像
金剛力士立像

全体で観光時間は1時間強である。多少は山を登らなければならない。帰りは臼杵駅行の適当なバスの便がなかったので、我々は大分行のバスに乗った。1時間弱程度かかるが、丁度、府内城の前に停まるので観光的には無駄はなかった。

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城下町の臼杵市の旅

臼杵石仏へ行く途中で臼杵市を観光した。古い史跡が点在しているが、新規に作られたものも多く、全体的に枯れていないという感じである。時代が経てば少しはよくなるので、将来に期待したい。

臼杵市について

臼杵市は大分からJR日豊本線で45分程度下ったところにある静かな町で、臼杵藩の城下町として栄えた。現在も臼杵城址や古い建物が残り昔の面影を残す雰囲気のある城下町となっている。また、近くには国宝となっている臼杵石仏がある。

別府や大分ではSuicaが使用できたが、臼杵駅ではまだ使用できなかった。現金で清算し、帰りにSuicaで乗車した別府に立ち寄り臼杵駅でもらった証明書を見せ修正してもらった。

臼杵城址

臼杵城は戦国時代に大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に城を築いたことに始る。江戸時代は関ケ原の戦いで功績のあった稲葉貞通が入り臼杵藩を名乗った。

臼杵駅から10分ほど歩くと臼杵城址である。但し、この方面から城址に入ると昔は船着き場であったところで抜け道から城址に登るような感じである。

城を島の岸壁の上に築いたのであろうが、丘の上の突き出したところに卯寅口門脇櫓が建っている。岸壁はコンクリートで補修された形跡が見られ、少し趣きは落ちる。

最盛には三重の天守閣と31基の櫓があった比較的大きな城であったが、明治時代に入り、各地で不満分子が反乱することを恐れたのか、明治政府は一部の建物を残し取り壊している。周囲の海も完全に埋め立てら、現在は丘の上の公園として活用されている。

現在、当時物が残っているのは石垣、空堀に、二の丸に畳櫓が、本丸に卯寅口門脇櫓だけである。

臼杵城卯寅口門脇櫓
臼杵城卯寅口門脇櫓

丘の上に登り本丸のあった場所には石垣だけが残っている。この上に天守でもあったのであろう。

臼杵公園に残る石垣
臼杵公園に残る石垣

本丸のあった場所は現在護国神社となっており、歴代藩主と西南戦争で亡くなった人が祭られている。一部庭園のようになっているが、本丸御殿の庭のあとでないかと思う。

臼杵護国神社
臼杵護国神社

二の丸大手門に当たる大門櫓が木造で復元されている。

臼杵城大門櫓
臼杵城大門櫓

正門方面から少し下ったところに二の丸がのあった。この所に畳櫓が残っている。

臼杵城畳櫓
臼杵城畳櫓

現在は建設当時の海に囲まれた城との面影はないが、櫓や石垣が不規則で並んでおり、丘の上に地形を生かした建てられた野生味のある城だなとの印象である。当時の物も少し残っており、公園を散策する気持ちで訪れると良いと思う。続100名城にカウントされている。

稲葉家下屋敷と旧平井家住宅

臼杵城址から5分ほど歩いたところに、稲葉家下屋敷が残っている。

臼杵市の下屋敷辺り
臼杵市の下屋敷辺り

明治時代に建てられた屋敷であるが、昔の大名の生活を偲ぶには十分である。

稲葉家下屋敷
稲葉家下屋敷

二王座歴史の道について

二王座付近には狭い道に武家屋敷や古いお寺が残っており、城下町として臼杵を代表する道である。

所々に古い建物が残っているが、中には最近建設されたものもあり、全体的にまだ調和していないという感じである。

後藤家長屋門
後藤家長屋門
稲葉家長屋門
稲葉家長屋門
二王座歴史の道
二王座歴史の道

龍原寺三重塔

江戸時代に建てられた三重塔である。なかなか趣がある。

龍原寺三重塔
龍原寺三重塔

臼杵市の観光は臼杵摩崖仏の観光がメインであったので、かなり駆け足で見て回った。三重塔のところからバスに乗って石仏方面に行った。バスの本数が少ないので、事前によく計画しておくことが必要である。

クラブツーリズムのツアー記録

本来のツアーは今日は高千穂方面であるが、バスの乗車時間が長いことから我々は敬遠し、臼杵方面の観光に切り替えた。

中間日に実施されるツアーはすべて旅行代金に含まれているがオプション扱いになっており、キャンセルするのは自由である。

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観光客で溢れる由布院温泉

由布院温泉の繁華街を2時間程度散策した。由布岳に金鱗湖と素晴らしい景観が味わえる場所もあるが、観光客(特に外国人)が多いのには閉口する。由布院温泉は散策するところでなく宿泊するところだと感じた。

由布院温泉について

由布院温泉は、大分県のほぼ中央に位置する由布市にある温泉郷である。温泉湧出量は別府温泉に次いで全国2位とのことである。広い範囲で湯が湧くため、旅館が一箇所に集積することなく、観光客の多い繁華街から外れた周辺の川沿いや林の中、丘の上などに点在している。

由布院駅から温泉街に伸びる駅前通り、湯の坪街道から金鱗湖に至るまでの道路沿いに食べ物屋や雑貨店が軒を並べ、多くの観光客があふれている。丁度、鎌倉の小町通のような様相である。九州は韓国や中国から近いためか、特に中国人や韓国人が多い。人に寄って好みは分かれるだろが、私は少し俗化し過ぎているように感じた。

由布岳と金鱗湖

観光地としての由布院温泉の魅力は由布岳がまじかに見えることでなかろうか。

由布岳は標高1583メートルの火山で、東峰と西峰の2つのピークを持ち火山独特の景観を呈している。金鱗湖まで来ると由布岳はまじかに迫り見上げるような感じになる。

金鱗湖は由布岳の麓に広がる周囲が約400メートル、水深が約2メートルの小さな湖である。この湖に温泉水も流れ込んでいるため、温度差から秋から冬にかけて早朝に霧が立ち込めることが多く、幻想的な光景が見られるとのこと。

湯布院の金鱗湖
湯布院の金鱗湖

クラブツーリズムのツアー記録

由布院温泉の散策はクラブツーリズムのツアーで行ったものであり、記録のため、その内容を記載しておく。

タデ原湿原を11時半頃出発する。1時間ほどで由布院温泉に到着する。ここで昼食も含め2時間ほど自由時間となる。先ずはバスガイドの案内で繁華街を通り金鱗湖まで案内してもらう。我々は金鱗湖付近の蕎麦屋で昼食をとる。食べたおろし蕎麦は腰があり美味かった。

金鱗湖付近を散策する。この辺りは自然も豊かで写真の素材になる風景が多い。建物も亀の井別館の建物が趣きがあり良かった。

亀の井別荘
亀の井別荘

バスの集合時間を考えながら繁華街を戻りながら散策する。

次は、由布院温泉で入浴のため、駐車場からバスで10分ほど乗り、由布院のホテルに移動する。この辺りは人通りも少ない。このホテルで温泉の入浴も含め1時間の自由時間となる。温泉に入ったが浴室からは由布岳がよく見えるように設計してあった。

私は早めに入浴を切り上げ、ホテルの近所の大分川沿いを散策する。ここは人も少なく由布岳もよく見えので、絶好のビューポイントである。

由布岳の景観
由布岳の景観

3時40分頃由布院のホテルを出発し、小1時間で別府のホテルに戻る。