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板東33観音札所

坂東三十三観音霊場一覧

昔から願いごとをかなえてもらうため、三十三の観音霊場を巡る旅が盛んに行われている。三十三観音霊場は各地にあるが、関東地方では坂東三十三観音霊場が有名で現在も盛んに参られている。

坂東三十三観音霊場について

観音菩薩を祀る寺院においては観音信仰によって神社と同じように日常的な幸福や災害よけなどをお願いするため、多くの人々が参拝している。

願い事は観音菩薩が三十三の異なった姿に変身し、かなえてくださるとのことから、西国においては平安時代から三十三の観音霊場が定めら、すべての寺院を参拝する風習が生まれた。

鎌倉時代には鎌倉在住の武士などから関東においても三十三観音霊場が求められ、坂東三十三観音霊場が創設された。

その後、この風潮は各地に伝播し全国に100以上の三十三観音霊場が設けられている。この風習は浄土宗系の寺院が広まるのに対抗し、天台・真言宗系の寺院の自衛策の一環として、組織化された面もある。

以前ほどの人気はなくなったが、現在でも坂東三十三観音霊場を巡る人は多い。特に最近は御朱印集めの関係で霊場巡りとは関係なく単独で参拝する人も多い。三十三観音霊場巡りの納経印(御朱印)は特別の納経帳が用意され、書体も工夫されており、味のあるものが多い。

坂東三十三観音霊場は関東(神奈川、埼玉、東京、群馬、栃木、茨城、千葉)の各地に点在している。中でも鎌倉居住者が参拝しやすいように神奈川県に多い。また、昔から海上交通が発達していたこともあり、千葉にも多い。この関係で鎌倉の杉本寺が第一番(発願)、千葉の館山近くにある郡古寺が三十三番(結願)となっている。

観音霊場は本来徒歩で巡礼すべきものであるが、道のりが1200キロメートル程度に及ぶことから現実的ではなく、現在では交通機関を利用するのが一般的である。

昔の寺院は比叡山延暦寺のように山の上に作らことが多く、坂東三十三観音霊場もある程度登らなけてばならない寺院が多い。また、交通の不便な寺院も多い。最難関は茨城県の八溝山の山頂近くにある 日輪寺である。苦労して参拝すればごそれに比例して達成感があり、ご利益も多いということか。

坂東三十三観音霊場一覧

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板東33観音札所

補陀洛山 那古寺:最後に参拝する結願寺

坂東三十三観音霊場第33番(結願寺)に指定されている。足掛け25か月に及んだ坂東三十三観音霊場巡りの旅、最後に参拝するのは千葉県館山市にある那古寺である。途中の段階で参拝してもよいが、最後に参拝すると納経帳に結願印を押してもらえるメリットがある。

横浜からの那古寺への行き方はJRやバスの利用などいろいろルートがあるが、最後はのんびりと行こうと思ったので久里浜・金谷間のフェリーを利用することにした。
よく計画せずに出発したので京急久里浜からフェリー乗り場まで適当なバスの便がなく、1,9キロの道を歩いた。なお、フェリーの出発時間に合わせてバスの便があるようだ。
フェリーの旅は気持ちが良い。海を眺めていると晴れ晴れする。乗車時間も40分ほどで丁度よい。

フェリーではドラマの撮影隊と一緒になった。20名程度のスタッフが甲板で動き回り、数ショット撮影していた。俳優は大河ドラマ「おんな城主直虎」にも出演されている市原隼人さんではないかと思った。撮影の合間にはカメラを持って自分でも風景を撮っておられた。女優は顔の知らない人であった。撮影の合間にも付き人が化粧を直していた。乗客は映らないところに誘導されて見ていた。

久里浜金谷フェリー
久里浜金谷フェリー

JRの金谷駅はフェリー乗り場から歩いて10分ほどの距離にある。フェリーもJRも運転間隔は1時間に1本程度。行く時は接続が悪く、金谷で待たせたので、早い昼食にして時間を過ごした。帰りはJRの到着時刻に合わせてフェリーも運航されており、また、久里浜港からのバスの便もよく、効率よく帰れた。

那古寺付近の地図

住 所:千葉県館山市那古1125
那古寺の最寄り駅はJR那古船形である。下車徒歩10分ほどで到着する。観音堂は山の中腹に建っているので、見晴らしのよい場所からは観音堂がよく見える。

那古寺について

那古寺(なごじ)は、千葉県館山市にある、真言宗智山派の寺院である。山号は遠く南方の海上にある観音の霊地、補陀洛浄土も望めるということで補陀洛山。本尊は千手観世音菩薩。坂東三十三観音霊場第33番(結願寺)に指定されている。世間からは那古観音として親しまれている。
創建は奈良時代の始め養老元年。元正天皇(女帝)の病気回復を祈って、行基がこの地を訪れ、海中から霊木を得て千手観音を刻み祈念すると、直ちに元正天皇は回復した。喜んだ元正天皇は勅命で、那古山の頂上に伽藍を建てられたと伝えられている。
その後も、源頼朝は本尊の千手観音に帰依して七堂伽藍を建立した。また、足利尊氏や南総里見八犬伝で有名な里美義実からも信仰を集めた。
江戸時代には、鶴岡八幡宮の別当を兼ねて栄えたとのことであるが、何故、寺院が神社の別当になっていたのか理解できない。

那古寺の境内

創建当時は、那古寺の主要な堂塔は那古山の山頂近くに建っていたが、元禄16年に起こった元禄大地震ですべて倒壊し、現在の場所に再建された。
現在の那古寺の境内は平地にもあるが、主要な伽藍は館山湾を見渡す那古山の中腹に建っている。あまり高くないので、登るのはさほど大変ではない。

那古寺の像
那古寺の像

観音堂(千葉県指定有形文化財)

現在の観音堂は、江戸時代中期の宝暦8年に再建された建物である。間口5間、奥行5間の平均的な五間堂である。海に面した方が正面になっている。
観音堂に祀られている本尊の木造千手観音立像は高さ1.5メートルのクスの木の一本造の仏像で、館山市指定有形文化財に指定されている。銅造千手観音立像は鎌倉末期に造られたもので重要文化財に指定されている。

那古寺の本堂
那古寺の本堂

多宝塔(千葉県指定有形文化財)

多宝塔は古くて趣のある建物である。観音堂より少し遅れて宝暦11年に再建されている。内部の中央の須弥檀には木造宝塔を置き大日如来が安置されている。

那古寺の塔
那古寺の塔


那古寺の納経印

那古寺の社務所は平地にあるが、納経印は高台の多宝塔の近くの小さな建物で書いてもらえる。他の寺院の納経印があるか簡単に確認された後、結願印も押してもらえた。

那古寺の納経印
那古寺の納経印
那古寺の納経印
那古寺の納経印

潮見台

観音堂のある高台から更に上に登る道がある。途中に潮音台と山頂へ登る道とに分かれたいるが、潮音台の方が簡単でまた東屋が建ち眺望も良い。

那古寺の展望台
那古寺の展望台
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板東33観音札所

海上山 千葉寺

千葉寺(せんようじ、ちばでら)は、千葉市中央区にある真言宗豊山派の寺院である。山号は海上山。本尊は十一面観音で、坂東三十三観音霊場の第29番目の札所となっている。千葉市で、「千葉」という名前を持った由緒ある寺院である。

千葉寺について

千葉寺は真言宗豊山派の寺院。山号は海上山。本尊は十一面観音で、開基は行基。坂東三十三観音霊場の第29番目の札所となっている。

千葉寺縁起によると飛鳥時代の和銅2年に行基がこの地を訪れたとき、池田の郷に金色に輝く池があり、栴檀の香りが漂った。さらに池の中央に雲が集まり、「三界六道、皆令解脱」という声が聞こえたので、不思議に思っていると、風が吹いて雲が晴れ、千葉の青蓮華が生じて、十一面観音が説法している姿を感得した。歓喜した行基は丈六の十一面観音像を彫り、唐の西明寺の宗鑑大師作の観世音菩薩の腹中に安置した。また、青蓮華の花を都に送ったところ聖武天皇から「三界六道青蓮千葉寺」の勅額を賜った。それにより、その後、この寺を海照山千葉寺と命名したという。その後、十八間四面の観音堂が建立されるなど、千葉寺は繁栄した。

奈良の大仏の建造に尽力したことで有名な行基が創建したと言われている寺院は全国に数多くある。忙しい行基が観音像を彫ったとはとても思えない。

全国に多くある「千葉」という苗字や地名はすべてこの辺りの地名から発祥しているようであり、当寺が奈良時代から千葉寺と命名されていたことを思うと非常に由緒を感じる。
その後、千葉常重が千葉猪鼻城に移ってから千葉寺は千葉氏の祈願所となり、堂宇の修築などが行われた。また、頼朝が伊豆石橋山の戦いに敗れて安房に逃れ、再挙する際に千葉寺に祈願している。頼朝は後に、源家を再興できたのはひとえにこの観音さまのおかげと思い、千葉常胤に命じて運慶作の愛染明王を寄進している。

千葉寺の住所

住 所:千葉県千葉市中央区千葉寺町16
千葉市街のど真中にある寺である。しかし、周囲は高台になっており、寺としての環境はよい。
千葉駅からバスの便もあるが、私は京成千原線の千葉寺駅から歩いた。徒歩10分程度である。

千葉寺の境内

本堂

千葉寺の建物は創建以来度々焼失している。最近では太平洋戦争で空襲を受け、多くの建物が焼失しまっている。
本堂は昭和51年に再建されたもので、桃山式の鉄筋コンクリート造りである。

仁王門

江戸時代の文政11年に建設されたもので、千葉寺の中で一番古い建物である。

千葉寺の仁王門
千葉寺の仁王門

公孫樹

境内に行基の時代からあるという立派な公孫樹がある。鎌倉八幡宮にあった公孫樹より大きいとのこと。県指定の天然記念物にもなっており見事である。 ある意味でこの寺の一番の見所である。

千葉寺の大銀杏
千葉寺の大銀杏

千葉寺の納経印

千葉寺納経印
千葉寺納経印
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板東33観音札所

滑河山 龍正院(滑河観音)

坂東三十三観音霊場の第28番札所 。利根川の近く千葉県成田市滑川にあり、JR成田線の滑川駅から徒歩20分強程度である。 世間からは滑河観音として親しまれている。建物は古く趣があり、観音霊場の雰囲気が漂っている。

龍正院への行き方

住  所: 千葉県成田市滑川1196
電話番号: 0476-96-0217

JR成田線滑川駅から徒歩20分強程度の距離にある。成田線の電車が1時間に1本程度の間隔で運転されているので、急ぎ足で参拝すれば丁度次の電車に間に合う距離である。

駅から方向さえ間違わなければ1本道なので、迷うこともない。20分程度歩けば滑川観音の交差点に着く。龍正院は交差点の角地に建っている。

成田空港に降りる飛行機の通り道になっているのか、上空を高度を下げながら成田に着陸する飛行機をよく見かける。

道路沿いには家が並んでいるが近くには利根川の本流が流れ、ゴルフ場もあり、自然豊かなところである。

龍正院について

龍正院は、千葉県成田市滑川にある天台宗の寺院である。山号は滑河山。本尊は十一面観世音菩薩で、坂東三十三観音霊場の第28番札所となっている。世間からは滑河観音として親しまれている。

龍正院の開祖は円仁(後の慈覚大師)と伝えられている。円仁は伝教大師最澄の弟子となったのち、東国巡礼の旅に出ており、東北地方には、この時 、円仁 が開基したと伝えられる寺院が多い。龍正院もこの頃、関係があったと思われる。

円仁はその後、唐に渡り9年間長安に滞在して、中国の有り様を記載した紀行日記「入唐求法巡礼行記」全4巻にまとめている。その書はマルコポーロの「東方見聞録」、玄弉三蔵の「西遊記」とともに、三大旅行記として高く評価されている。

本尊の十一面観世音菩薩については以下のような伝説が残っている。

平安時代の承和5年にこの地方がやませが吹き荒れたのか冷害で大凶作になった時、滑河城主であった小田将治が現状を憂慮して、法華経の読誦をして天候の回復を祈願した。
結願の日に「朝日姫」と名乗る少女があらわれ、「汝の願いごとかなうべし」と小田将治を朝日ヶ淵に案内した。そこに老僧がいて、身の丈一寸二分の小さな十一面観世音像をすくい上げて小田将治に与え、「この淵より湧く水をなめよ」と教えて立ち去った。これが滑川の地名の由来である。その後天候も回復し作物も実ったと伝えられている。

後にこの観音様は定朝作の一丈二尺の本尊の胎内に納められた。

龍正院の境内

仁王門(重要文化財)

仁王門は室町時代の文亀年間に再建されたものである。飛騨大隅の作といわれ、八脚門で茅葺き寄棟造りである。木造りの簡素な建物で独特のも向きがある。この仁王門は桃山期の建築様式として貴重であることから国の重要文化財に指定されている。

龍正院の仁王門
龍正院の仁王門

本堂

本堂は銅板葺き、方五間の宏荘な建物で、江戸時代の元禄9年建設されたものである。千葉県有形文化財に指定されている。

龍正院の本堂
龍正院の本堂

納経印

納経印は境内の端の方にある社務所で書いてもらえる。

龍正院納経印

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飯沼山 円福寺(飯沼観音)

坂東三十三観音霊場の第27番札所。 銚子の町は飯沼山 円福寺の門前町として栄えたところであり、当然、円福寺は銚子市のど真ん中に位置している。戦前の建物は戦災ですべて焼失したため、現在は近代的な新しい立派な建物が建っている。レトロ感はないが、豪華な雰囲気のある寺院である。

円福寺付近の住所

住 所:千葉県銚子市馬場町293

電 話:0479-22-1741

銚子駅から歩けないこともないが、銚子電気鉄道を利用すれば観音駅下車、徒歩3分である。昔は広大な境内を有していたが、現在は二つの境内に別れている。地図上に表示されている場所は大師堂のある境内で、観音堂がある境内は駅より遠く、馬場町の交差点の近くである。

飯沼山 円福寺について

飯沼山円福寺は、千葉県銚子市にある真言宗の寺院。山号は飯沼山。本尊は十一面観世音菩薩。開基は弘法大師。坂東三十三観音霊場の第27番札所となっている。世間からは飯沼観音と呼ばれ親しまれている。

円福寺の創立に関する物語は「飯沼山観世音縁起絵巻」として語られている。それによると

奈良時代の神亀五年の春、二人の漁師が夢の中で見た言葉に従い、海の上で光り輝いているところで漁をしたところ十一面観音が網にかかった。二人は出家して草庵を結び、十一面観音を安置した。この観音を参拝した多くの人が病から救われたことから評判になり、二人はおこり除け法師と呼ばれるようになった。

奈良時代の天平年間になり、行基菩薩がこの話を耳にして、厨子を作って奉納した。しかし尊像のほうが少し大きくて入らなかったので、行基が祈願すると、尊像は首をたれて、みずから厨子に入ったという。
平安時代の初期大同年間に弘法大師が東国を巡錫したとき、この尊像を拝したが、海から出現したままの姿だったので、台座や光背を作り、開眼供養をおこなった。また、下総国の守護千葉氏の系統を引く海上長者が、観世音の慈悲と弘法大師の修法の力に心をうたれ、財を惜しまずに提供し、壮大な伽藍を建立した。このとき大師を開祖と仰いだと伝えられている。

その後、円福寺は海上氏一族の庇護によって発展した。鎌倉時代に坂東三十三観音霊場の第27番札所となったが、近辺の札所から遠く離れているので、巡礼者の多くは銚子で一泊するようになり銚子の町も発展していった。
安土桃山時代天正6年には八間四方の観音堂が建てられた。天正19年に徳川家康に朱印を賜わり諸堂を整備している。

円福寺の建物

昭和20年の空襲で円福寺の多宝塔や観音堂など諸堂を焼失してしまったため、建物はすべて戦後再建されたものである。

円福寺大師堂

駅から近い大師堂のエリアにある。

円福寺の大師堂
円福寺の大師堂

円福寺観音堂

床の高い豪華な建物である。

円福寺の観音堂
円福寺の観音堂

円福寺五重塔

高さ33.55メートルある立派な五重塔である。 観音堂からの姿は絵になる。

円福寺の五重塔
円福寺の五重塔

円福寺仁王門

円福寺の仁王門
円福寺の仁王門

円福寺の納経印

正式の納経所は大師堂のあるエリアであるが、観音堂の中でも書いてもらえるようだ。

円福寺の納経印
円福寺の納経印
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音羽山 – 清水寺(清水観音)

坂東三十三観音霊場第32番札所 。千葉県のいずみ市にあるが、バスの便がなく、陸の孤島のようなところにあり、参拝するのは大変である。環境は自然豊かなところで、建物も趣があり歴史を感じさせてくれる。

清水寺付近の住所

住 所:千葉県いすみ市岬町鴨根1270
電 話:0470-87-3360 
清水寺は陸の孤島のような場所にある。最寄り駅はJR外房線長者町駅であるが、バスの便がなく、約4キロメートル歩くことになる。距離的には次の三門台駅の方が少し近いようであるが、道が分かり難いのか、寺のホームページには最寄り駅が長者町駅になっている。

清水寺について

清水寺(きよみずでら)は、千葉県いすみ市にある天台宗の寺院である。山号は音羽山。本尊は千手観世音菩薩で、坂東三十三観音霊場第32番札所となっている。世間からは清水観音として親しまれている。

創設の経緯は天台宗と開祖となった伝教大師最澄が若い頃諸国を旅した時、上総国の広い野原で夜になり困っていると、樵が現れ家で歓待してくれた。夜が明けるとそれが幻覚であったことを悟るが、周囲の風景が京都の清水寺のある音羽山に似ていたことから、ここは行叡居士が探しに行った東国の観音霊地でないかと思い、この地に庵を構えた。
しかし、その時は最澄に勅命が下り帰洛し、志を遂げることはできなかった。その後、慈覚大師が師の跡を慕って庵に住み、千手観音を彫り、平安時代の初め大同2年に清水寺を開基した。また、京都の清水寺と同様に征夷大将軍であった坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられている。

なお、行叡居士は京都の清水寺を創設した賢心に霊木を授け、千手観音像を奉刻し、この観音霊地を護持するように託した人物である。
このように、京都と千葉の清水寺は設立動機と関係者が類似しており、同じ山号と名称の寺院になったのであろう。この二つの清水寺に播州の清水寺も加えて日本三清水寺とされている。

清水寺の環境と建物

清水寺の周囲は自然豊かなところで境内及び周囲の山林は千葉県郷土環境保全地域「清水観音の森」に指定されている。境内の東側の谷あいは「音羽の森公園」として近隣住民の憩いの場となっている。

清水寺の周囲は少し高台になっているが、車で上まで登れる。駐車場の前には先ずは仁王門がある。

仁王門

この仁王門は老朽化のため平成5年に再建立されたものである。入った左側に納経所がある。

清水寺の仁王門
清水寺の仁王門

四天門

境内は奥に広がっており、さらに進むと四天門がある。
四天門は入母屋造の楼門で、本堂とともに江戸時代の文化14に建設された建物で、なかなか風格がある。

清水寺の四天門
清水寺の四天門

清水寺奥院堂

四天門を潜ると幾つかの宇堂がある。その一つに仮の本堂として建設され奥院堂がある。

清水寺の奥院堂
清水寺の奥院堂

本堂

境内の一番奥に本堂がある。創建当時に建設されて建物は焼失し、現在の建物は江戸時代の文化14年に再建されたものである。

清水寺の本堂
清水寺の本堂

内部は歴史を感じさせる。

清水寺本堂の中
清水寺本堂の中

いろいろな物が飾ってあり、雑多な感じがする。

清水寺の納経印

納経所は仁王門を入ったところにある。

清水寺の納経印
清水寺の納経印
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板東33観音札所

大悲山 笠森寺(笠森観音)

笠森寺は坂東三十三観音霊場の中でもユニークな寺院である。観音堂が突き出した岩の上に構築されており、独特の景観を持っている。重要文化財に指定されている。世間から笠森観音として親しまれている。周囲は自然豊かなところで、見学する価値はある。

笠森寺について

笠森寺(かさもりじ)は千葉県にある天台宗延暦寺派の寺院である。山号は大悲山、本尊は十一面観世音菩薩、開基は伝教大師最澄。坂東三十三観音霊場の第三十一番札所となっている。世間からは笠森観音として親しまれている。

笠森寺の創建については奈良時代の延暦3年に天台宗の開祖として有名な伝教大師最澄が東国を行脚しているとき、尾野上の山で楠の根に小さな十一面観音像がはめ込まれているのを見つけ、法の導きを感じて楠の木に2.2メートルの十一面観世音菩薩を刻み山上に安置したのが始まりとされている。

その後、最澄は延暦25年に比叡山延暦寺を拠点にして天台宗を開いている。延暦寺は多くの僧が学び、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など数々の名僧を輩出したことで、「日本仏教の母山」といわれている。

笠森寺付近の住所

住 所:千葉県長生郡長南町笠森302
電 話:0475-46-0536

自動車で行く場合は409号から少し入ったところに大きな駐車場がある。笠森寺は駐車場から10分程度山道を登った高台にある。
交通機関を利用するときはJR外房線 茂原駅と小湊鉄道上総牛久駅が起点になる。この二つを結んでいる小湊鉄道のバスがあり、「笠森」で下車して徒歩10分であるが、バスの本数が少ないので、注意が必要である。

観音堂の建物について

笠森寺の観音堂は平安時代の長元元年に後一条天皇の勅願により建立されたとされている。その時に建設された観音堂は既に焼失しており、現在の観音堂は戦国時代の文禄年間に再建されたものである。
観音堂は山の上の大きな岩に61本の柱を構築して建物を支えている四方懸造と呼ばれる建築様式の建物である。この様式は日本で一つしかない珍しい建物とのことであるが、京都の清水寺を小型にしたような雰囲気である。。

笠森寺観音堂の柱
笠森寺観音堂の柱

この建物は明治41年に一度国宝の指定を受けているが、当時は「国宝」と「重要文化財」の区別がなく、国指定の有形文化財はすべて「国宝」とされていた。昭和25年の「文化財保護法」の制定により、笠森寺の観音堂は重要文化財の扱いとなっている。
観音堂は参拝する時は当然として、納経印をもらう場合も75段の階段を登らなければならない。なお、観音堂に登るのは有料で、階段を登り切ったところに窓口がある。

笠森寺の階段
笠森寺の階段

観音堂からの見晴らしは良いのであるが、周囲は自然豊かなところで、大きな町もないので、眺めは単純である。

笠森寺付近の自然

笠森観音の周辺は自然豊かなところで、周辺の山々は「県立笠森鶴舞自然公園」に指定されている。笠森寺周辺の林は創建当時から伐採が禁止され、現在は笠森寺自然林としては天然記念物に指定されている。

三本杉

駐車場から笠森寺に参拝する山道の途中に三本杉と言われる珍しい杉の木がある。これは写真で分かるとおり、上の方は3本の杉なのであるが、根本がつながっている珍しい杉である。

県立笠森鶴舞自然公園の散策

笠森寺の観音堂の裏側のほうから周囲を散策できる道があり、別のルートで駐車場に戻ることができる。途中には展望台もあるが、あまり視界はよくない。駐車場の近くには池もある。

笠森鶴舞自然公園
笠森鶴舞自然公園

笠森寺の納経印

納経印は観音堂の上でもらう。階段を登ったところの受付窓口がある。また、本堂の参拝する場所からも依頼できるようになっている。納経帳は帰るときに受付のところで返してもらえる。

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平野山 高蔵寺(高倉観音)

高蔵寺は千葉県の木更津にある坂東三十三観音霊場の30番目の札所でとなっている。横浜からでもアクアラインを利用して比較的て手軽に行けた。参拝をしたときは気づかなかったが、ネットで調べると変わった宝物を持っていることで評判になっている。

高蔵寺付近の住所

住 所:千葉県木更津市矢那1245
電 話:0438-52-2675 
この辺りは昔は辺鄙なところであったと思われるが、アクアラインが開通したことから発展し、大規模な研究都市「かずさアカデミアパーク」が開発されている。このため高蔵寺の近くまで道路網はよく整備されており、高速道路を利用すれば横浜からでも1時間強で行ける。
バスの便としてはJR内房線木更津駅東口から日東交通のバスがある。草敷・高倉線で25分程度乗車。「高倉観音下」で下車。徒歩10分程度であるが、問題は利用できるバスの便が日に2〜3本しかなく、計画するのが大変なことである。

高蔵寺について

高蔵寺は、千葉県木更津市にある真言宗豊山派の寺院。山号は平野山。本尊は聖観世音菩薩で、坂東三十三観音霊場の第30番札所となっている。通称は高倉観音として親しまれている。

高蔵寺の歴史は古く、飛鳥時代の用命天皇の時代に、

徳儀上人が修行を積んでいたところに老翁が現れ、古木を指さした。そこに4寸(約12センチ)ほどの観音像が安置されていたので、堂宇を建立して祭ったのが始まりとされている。
後に奈良の大仏の建造で知られている行基が巡錫して、1丈(約3メートル)の観音像を作り、徳義上人が見つけた観音像をその頭部に納めたとされている。

行基には多くの伝承記録が残っており、真実のほどは疑わしい。
また、高蔵寺には藤原鎌足生誕に関する次のような伝承も残っている。

この地方の有力者であった矢納郷の猪野長官には40歳になっても子供に恵まれなかったが、観音様に願をかけところ一女(子与観)を授かったとのことである。
次に、子与観は20歳を過ぎ ても良縁がなかったが、「鹿島へ行きて日天を拝せよ」とのお告げがあり、その通りにしたところ、めでたく結婚でき、その後男子を産んだとのとのことである。
この男子が成人して日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖となった藤原鎌足とのことである。

藤原鎌足の生誕に関してはいろいろな説があり、この伝承も疑わしい。また、当地と鹿島(茨城県?)の関係も不明確である。
鎌足はこの観音様の霊験や母への感謝も込めて本堂など多くの伽藍を建立したとのことである。
その当時の建物は焼失し、現在残っているのは室町時代後期から江戸時代初期にかけて再建された建物である。

高蔵寺境内

それほど広大ではないが林で覆われた岡の上にあり雰囲気のよい寺院である。駐車場の前に仁王門がある。その隣には神社があり、典型的な神仏混合の寺院であると思われる。
本堂、山門、鐘楼は木更津市の指定文化財に指定されていたが、その後、何故か取り消されている。原因は不明。

本堂

大きな88本の柱に支えられた高床式の堂々とした本堂である。床は2.3メールと高く昔は床下に馬を繋いだといわれている。
建設されたのは室町時代の末期、各地に戦国時代で活躍した有名な武将が続々と誕生していた時期とあるが、柱の土台などは新しく全体に古さをあまり感じない。その後大幅に改築されたのであろう。

山門

江戸時代初期に再建された山門である。他の札所から比べても立派な建物である。

高蔵寺の山門
高蔵寺の山門

鐘楼

江戸時代初期に再建された建物。隣に鳥居が見えるがこれは隣の熊野神社のもの。境内の中に同居しており、ここも昔は神仏混合などであろう。

高蔵寺の鐘楼
高蔵寺の鐘楼

地獄界・極楽界・観音浄土巡り

本堂が高床式であることを利用して、床下を博物館としている。

秘仏の本尊を下から拝観できたり、「観音浄土界の間」「地獄界巡りの間」「極楽界巡りの間」などの絵画等、それ以外にも、B級の展示物が多くあるようであるが、俗化し過ぎか。

高蔵寺の納経印

鳥居のそばに納経所がある。

高蔵寺の納経印
高蔵寺の納経印
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板東33観音札所

岩殿山 安楽寺(あんらくじ)

埼玉県にある坂東三十三箇所観音霊場の11番札所である。多少交通は不便であるが、由緒があり趣きのある寺院である。特に三重の塔は気に入った。

安楽寺(吉見観音)の地図

住所:埼玉県比企郡吉見町御所374
電話:0493-54-2898 

最寄りのバス停から30分程度かかる交通の不便な寺院である。吉見町を巡回するコミュニティバスがある。

車で行く場合、専用の駐車場は広いので問題ないが、近辺の道は狭いので行き方によっては多少迷うかもしれない。

安楽寺について

安楽寺は真言宗智山派の寺院である。山号は岩殿山。院号は光明院。本尊は聖観世音菩薩で、世間からは吉見観音として親しまれている。

安楽寺の歴史は古く、奈良時代に僧侶の行基が東国を巡礼したとき、この辺りを霊地と定め聖観音像を彫って岩窟に安置したのが始まりとされる。岩窟寺院の一つである。

平安時代の桓武天皇の時には、奥州征討に出かけた坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、七堂伽藍を建立している。

平安時代の末に起こった平治の乱で源義朝側は敗れた。初陣であった源頼朝は伊豆に、弟の範頼(義経とは異母兄弟)はこの安楽寺の稚子僧となって育てられている。その後、頼朝は範頼、義経らの協力を得て鎌倉幕府を開いている。その後、この吉見町辺りが範頼の所領となっている。範頼は所領の半分を安楽寺に寄進し、この寺のため三重塔、大講堂を建てている。これらのことにより範頼は吉見御所として尊敬された。この地方は範頼が住んでいた息障院から安楽寺にかけて一大寺院群が形成されていた。

しかし、室町時代から戦国時代にかけて要衝であったこの地は戦火にまみれ、天文6年の後北条氏が松山城を攻めたとき兵火により全ての伽藍が焼失してしまっている。

その江戸時代に入り世の中が安定すると三重塔、観音堂が再建されている。現在、残っている建物はすべて江戸時代以降に建てられたものである。

安楽寺の建物

少し高台に建てられている。

安楽寺仁王門(埼玉県指定の文化財)

駐車場から参道を行くと大きくはないが地方色豊かな趣きのある仁王門にぶつかる。

安楽寺の仁王門
安楽寺の仁王門

安楽寺本堂(埼玉県指定の文化財)

仁王門から少し登った所に立派な本堂が建てられている。

安楽寺本堂の側面
安楽寺本堂の側面

安楽寺三重塔(埼玉県指定の文化財)

本堂の右側に優美な三重の塔が建っている。この三重塔は江戸時代に杲鏡法印によって建てられたもので、安楽寺で現在残っている建物で最も古い。高さは約24.3メートル。

安楽寺の三重の塔
安楽寺の三重の塔

安楽寺の御朱印

御朱印は本堂の並びで、三重塔と反対側の少し離れたところにある住居とされている場所で頂く。

安楽寺の納経印
安楽寺の納経印
カテゴリー
板東33観音札所

巌殿山 正法寺(岩殿観音)

埼玉県東松山市の物見山の近くにある巌殿山正法寺(しょうぼうじ)は坂東三十三観音霊場の第10番目の札所である。巌殿山の丘の上にあり、山寺のような趣きのある寺院となっている。鐘楼のある場所からの見晴らしもよい。裏道から入れば交通の便もよいが、正式の参道から行く場合は少し歩かなければならない。

正法寺の地図と行き方

住 所:埼玉県東松山市岩殿1229
電 話:0493-34-4156 
正法寺への行き方は二通りある。参道を通り仁王門から入る方法と正法寺の近くを通っている県道212号から裏道を通り境内に入る方法である。観音堂を参拝するだけなら長い階段を登らなくてよいので裏道から行く方が楽である。雰囲気を味わいたいなら正式の参道から参拝するのがよい。
東上線高坂駅西口から鳩山ニュータウン行のバスに乗り裏道の場合は大東文化大学で下車。そのまま212号を進み、駐車場のあるところから裏道に入る。
参道から行く場合は物見山登山口バス停で下車。こども動物公園前の信号(十字路)右折し、800メートル程度進み、左折する。下記地図を参照のこと。

正法寺について

正法寺埼玉県東松山市にある真言宗智山派寺院である。山号は巌殿山。坂東三十三箇所の十番札所である。本尊は千手観世音菩薩で世間からは岩殿観音の愛称で親しまれている。

創設は奈良時代の初期の養老2年(718年)に、沙門逸海上人が千手観音像を刻み正法庵を開いたとされる時である。その後、この寺は没落するが、鎌倉時代初期に再興され、源頼朝の妻北条政子の守り本尊になっている。

正法寺境内の建物

仁王門

表参道から石段を少し登った所にある「巌殿山」の額を掲げた門。本堂は仁王門の右方向にある。

仁王門から長い階段を登らなければならない。観音堂は上にある。

正法寺の仁王門
正法寺の仁王門
正法寺の階段
正法寺の階段

正法寺観音堂

現在の建物は明治11年の建設されたものである。本尊の千手観世音菩薩は室町時代の彫られたものと言われている。

正法寺の観音堂
正法寺の観音堂

鐘楼と銅鐘

鐘楼は元禄時代に建てられた草葺き屋根の建物で東松山市内では最も古い建造物とされている。草葺の屋根は趣がでる。東松山市有形文化財に指定されている。
梵鐘は鎌倉時代の元亨2年に鋳造されたものある。埼玉県の有形文化財に指定されている。外面の無数の傷は豊臣秀吉が関東征伐の時に、この鐘を山中に引き回したためだと言われている。

正法寺の鐘楼
正法寺の鐘楼

正法寺の納経印

納経印は階段の下の仁王門の横の本堂でもらうことになる。裏道から行っても、階段を昇り降りしなければならない。

正法寺の納経印
正法寺の納経印