カテゴリー
映画

映画「風立ちぬ」の感想

ゼロ戦の設計者として有名な堀越二郎の半生を「風立ちぬ」に代表される堀辰雄の世界を加味して描いた作品である。これまでの、ジブリ作品のように子供をターゲットにした作品ではなく、宮崎駿監督自身も納得するゼロ戦を知っている高齢者を対象にした作品であるように思う。

ゼロ戦は太平洋戦争で大活躍した戦闘機であり、太平洋戦争にある程度知識がある人は興味のあるテーマである。しかし、映画ではゼロ戦の設計に至るまでの話であり、ゼロ戦そのものは最後の方に大空の彼方で鳥のように飛んでいる姿など殆ど描かれていない。従って、戦争も破壊された飛行機が少し出てくるだけで殆ど描かれていない。

宮崎駿監督は飛行機が大好きなのであろう。中でも世界に誇れるゼロ戦とそれを設計した堀越二郎は大好きだったのだろう。以前のアニメ作品でも飛行するものは多く出てくる。この映画でも夢の中などで、いろいろな飛行機が出てくる。中には非常に興味を引かれる飛行機もあった。しかし、戦争は嫌いという性格でこのような描き方になったのだと思う。

ゼロ戦の設計では機体を如何に軽くするか、試作機の墜落の原因究明など苦労も多かったと記憶しているが、映画では淡々と設計できたように描かれるので、苦労は伝わってこない。 昔を知っているものはある程度理解できるが、現在子にとっては単に昔の人が訳の分らないもの(計算尺)をいじりながら飛行機を設計している姿でしかなく、よく理解できないかもしれない。

映画では関東大震災、昭和初期の日本の風俗が描かれているが、当時の貧しい日本を際立たせるための演出であろう。これを実写で描くと、かなり暗い映画になりそうであるが、アニメにすると暗さはなくなり、ユーモアさえ漂ってくるから不思議である。

堀越青年が悲しい恋をするが、この辺りは完全に堀辰雄の世界なのであろう。

まとめると、貧しい日本の国にあって大空に夢を描いた青年が恋をしながら世界屈指の戦闘機を設計するまでの姿を描いた高齢者向けの作品であると思う。

カテゴリー
映画

映画「踊る大捜査線」の感想

「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ」は一言で言うと警察を舞台にした軽妙な笑いが織り込まれたコミック的な映画である。また、過去の関係者が多く出演しているオールスター映画でもある。刑事ドラマを期待して見に行った人は失望するが、昔のシリーズの愛好者で、シリーズを懐かしむのであれば、それなりに満足できる。

「踊る大捜査線」は人気のあったフジテレビの連続ドラマで、過去2回劇場版の映画も作成されている。今回は7年ぶりに劇場版の第3作目が作成された。

刑事ドラマとして見ると、短期間のうちにそれぞれが重要なテーマとなりうる事件が幾つも発生するが、扱いが簡単であり、刑事ドラマとしての深みはない。内容も非現実的で馬鹿げており、シリアスな推理ドラマ、活劇ドラマとしては楽しめない。むしろ漫画チックな喜劇の舞台設定と考えれば理解できないこともない。よく考えれば題名の「踊る大捜査線」そのものが、踊るが喜劇、大捜査線がドタバタ劇を連想させ、題名と内容があっているのかもしれない。

今回一番感心したのは、随所に軽妙な笑いの要素が織り込まれていたことである。例えば、最初に課長から本部長として紹介され、織田裕二が出れくるが、出世したのかと思いきや、実は引越し対策本部長であったとの落ちなどである。その他にもなかなか気の利いた笑いの要素が多かった。観客からも笑い声が漏れていた。

「踊る大捜査線」のシリーズの一番の魅力は登場人物の個性のあるキャラクターの設定で、そのキャラクターがシリーズを通して定着し、人間ドラマになっていたことである。今回の映画は前作より7年ぶりの映画となるので、時の流れに従って一部役柄が変更されたり、新しいキャラクターが投入されている。

主役の織田裕二は係長に昇進しているので、熱血漢にプラス雑用をこなさなければならない役柄に変更さている。現場の刑事のよき理解者であった柳葉敏郎は警察庁長官官房審議官と政治に近い役職に設定されているので、現場と遠い存在になりストリー的に無理な存在になってきた。深津絵里の刑事役は変更ないが、今回は刑事として活躍する場が少ない。織田裕二とのからみでは多少味付けが変更され比較的よく描かれている。

警察署トップの漫才トリオ(スリーアミーゴス)北村総一朗、小野武彦、斉藤暁の笑いを誘う演技は健在である。人情味あふれるベテラン刑事役柄でいい味をだしていたいかりや長介は死亡して当然出演できないので、その甥の役柄として新人の伊藤淳史が登場している。水野美紀は今回、不参加。

その他にも、フジテレビの連続ドラマや劇場版で登場した警察関係者や犯人が多く出ており、オールスター映画となっている。中でも劇場版映画で不気味な猟奇殺人を演じた小泉今日子が今回も中心的な扱いになっている。但し、不気味さは前作より劣っている。その他の犯人や警察関係者もいろいろと顔を出てしていたが、出ているカット数が少ないので熱烈なフアンでないかぎり印象に残るほどでない。

多くの新規メンバーも新規のキャラクター設定で投入されているが、出演時間が短いので、味を出すところまでは至っていない。その中で私の印象に残ったのは小栗旬、小泉孝太郎、内田有紀などであった。

今回の映画でほぼ全員の役柄が変更されそうな勢いであり、今後、「踊る大捜査線」シリーズが継続されたとしても、登場人物、キャラクター設定や人間ドラマとして味付けは大幅に変わりそうである。

 

カテゴリー
映画

映画「シャーロック・ホームズ」の感想

シャーロック・ホームズ映画ということで見に行ったが、我々が潜在的に持っているシャーロック・ホームズ映画とはかけ離れた内容で、推理映画というよりはアクション映画に多少ミステリ要素を加味した映画であった。どちらかというとジェイムスボンド映画に近いかもしれない。シャーロック・ホームズ映画と思わなければそれなりに楽しめる。

ストリーはコナン・ドイルの小説に基づくものでなく、時代背景、登場人物など舞台設定だけを小説から借りてきてオリジナルな物語を構築し、映画化したものである。科学捜査能力が十分でない時代にシャーロック・ホームズだけが、かなり科学的な知識を持っていたとの設定を借りたかったのであろう。原作はマンガとのことで、どうりでストリー展開が派手である。

ストリーはシャーロック・ホームズ(ロバート・ダウニー・Jr)と相棒のワトソン博士(ジュード・ロウ)が宿敵ブラックウッド(マーク・ストロング)の黒魔術を駆使した悪巧みに立ち向かうというものであるが、影でモリアーティ教授が糸を引いている設定のようで主要登場人物は織り込まれている。

事件は起こるが、その謎を解明する前に新たな事件が起こるので、謎解きを楽しむ暇はない。その事件がすべて非現実的で、魔術的な要素があるため、ミステリー性を高めている。次にどの様な事件が起こるのか、ストリーがどのように展開しているのかなどこの点では興味は持てる。ただし、展開が早いので、ストリーの全体の流れがどのようになっているのか十分に理解できなところも多い。

アクションでは危機一髪的な場面が多く派手である。非常にタフなシャーロック・ホームズである。非常に強い大男との格闘など、観客をはらはらさせる。この辺りはジェイムスボンド映画に近い作りである。

シャーロック・ホームズ映画であるから、途中、推理力を披露する場面もあるが、あまりにも超人的な推理であるため、素晴らしいと感じるよりも現実離れしていて、浮き上がった印象である。最後に事件の謎解きが披露されるが、これも科学的によく理解できない。そのそも俳優にあまり知性が感じられないので、推理に現実味がない。まだ、相棒の杉下右京の推理の方が水谷豊に知性が感じられるのでまともに感じる。

題名をシャーロック・ホームズとすると、どうしても観客は従来のイメージにとらわれるので、別のヒーロー名の映画にした方がよかったのでないだろうか、そうすれば観客を騙すことなく、それなりに面白い映画となっと思う。

カテゴリー
映画

映画「ゼロの焦点」の感想

映画「ゼロの焦点」は松本清張の同名の小説を映画化したものである。松本清張は戦後から社会派の推理小説家として人気を得た作家で、この映画も基本的にはミステリー映画であるが、同時に戦後の複雑な社会背景も描きこまれており、社会ドラマとしても見応えがあり、重厚な映画に仕上がっている。是非とも見る価値のある映画であると思った。

松本清張の生誕100年を記念する映画ということであるが、生誕100年といえば太宰治もそうで、少し不思議な気もするが、二人は同年代の人間ということになる。しかし、活躍した時期は完全に分かており、太宰治は早熟で松本清張が処女作を発表する前にはすでに作品を残し自殺してしまっており、一昔前の作家という感覚。これに対し松本清張は生活体験を積んだ後の人生後半から文筆活動を始めたため、我々の世代に活躍した作家という感覚である。

この小説も名前はよく知っており、映画やテレビで度々映像化されているとのこと。映画を見ればストリーを思い出すかと思ったが、まったく心配無用で、初めて見る映画のように新鮮な気持ちで見られた。以外に人間の記憶などいい加減なもので、昔のテレビドラマなど殆ど覚えていないものである。

物語は新婚早々に金沢に出張した夫が帰らなくなり、主人公(末涼子)が金沢に行き、関係者に会って事実を確かめていくことからドラマは展開するが、新たな殺人事件が起こったり、重要な事実が分かったりして、ミステリー性を徐々に高めて行く。

テレビドラマでは刑事が活躍して、真相を一気に解明することが多いが、この映画ではあくまでも、主人公がゆっくり行動するテンポに合わせて真実が分かってくるので、謎も徐々に解明される感じである。この間、私は、失踪ミステリドラマの常道であるように、夫が名前を変えてどこかで現れるのでないか、死体が見つかるのでないかなどいろいろ予想しながら見ていた。

映画は数分単位の場面で構成されるが、一つ一つの場面が戦後の時代背景にした社会派ドラマのような内容も含まれており、映画に重量感を与えている。その内、幾つかの場面ではジグゾウパズルのピースのように新しい真実が明らかにされていき、最後のクライマックスに持って行く。物語が戦後の暗い時代の話であるため、古い映像を挿入したり、北陸の荒々しい海や雪の情景そ挿入して、戦後の薄暗い雰囲気を醸し出している。汽車の中の場面などは懐かしかった。

場面設定や映像アングルも見事である。比較的、大写しで撮られることが多く、映画の大画面の強みを活かしているように思える。出演者の演技も納得いくもので、特に、広告の表紙になっている末涼子、中谷美紀、木村多江の3人の女優はその性格を見事に演じていた。個人的には特に中谷美紀の演技は気に入った。後半、アップで映し出される表情には凄みがあり、映画に引き込まれた。

カテゴリー
映画

映画「カムイ外伝」の感想

映画「カムイ外伝」は白土三平の同名の人気マンガをベースに映像化された映画である。抜忍となったカムイと忍者の掟に従ってカムイの暗殺を狙う追忍との死闘を描いた忍者アクション映画である。忍者アクションは評価するが、多くの人が殺害される暗い映画である。

マンガの「カムイ外伝」は昔少し興味を持っていたマンガである。定期購読するほどのファンではなかったが、連載中のマンガを食堂などで見つけたときは真っ先に読んだ記憶がある。ストリーは覚えていないが、その斬新な忍者アクションには非常に興味を覚えたものである。今回このマンガがどのように描かれているのか興味があったので見に行った。

物語は一言で言うと逃亡劇である。不意に襲って来る追忍との死闘。それに、悪大名などがからむ。また、人に追われているとの猜疑心から味方となりうる人物ともアクションを交えることもあり、アクションのオンパレードである。途中には、小雪、伊藤英明や大後寿々花など人間ドラマ的な要素も加味されている。

随所に斬新なアクションはあるが、どうも30分ドラマを積み重ねたようなストーリ展開で、これだけでは飽きてしまう。毎週1本つづドラマを見るならアクションを見て満足ということになるのであろうが、2時間程度の映画となれば、全体を通しての目的やテーマ設定を行い、複線のアクションやストリーを積み上げながら最後のクライマックスの持って行くとストリー上の工夫が欲しかった。

しかし、観客を飽きさせないように森、漁村、船の上などいろいろななところで場面設定されていたのは評価できる。昨年沖縄旅行したとき、この映画に使用された丸太を積み重ねたような原始的な船が展示してあって、どのように使用されるのか興味があったが、実際の映画を見て納得した。

カムイ外伝の船1

カムイ外伝の船2

アクションシーンは多い。特に忍者は並外れた跳躍力を持っているとの設定になっているため、空を飛び跳ねる場面が多い。中国映画にも多いが、多少雰囲気は似ている。GCで合成、フイルムの逆回転、ロープで吊るすなどの工夫をしているものと思われるが、どうしても自然の法則に逆らっているのか不自然さが残る。これを自然に見せるのが今後の課題であろう。

今後、継続して映画化されるのは不明であるが、この映画だけで完結しているとなると、多くの人が殺害されただけの映画となり不毛である。今後、継続して映像化して、今回の事件を糧にカムイが成長していく姿や少し希望を持てる内容のドラマを描いて欲しいものである。

カテゴリー
映画

映画「火天の城」の感想

映画「火天の城」は第11回松本清張賞にも選ばれた山本兼一の同名小説を映画化したもので、熱田の宮番匠(大工)岡部又右衛門が苦難の末、安土城を築城するまでの姿を描いている。戦国時代と言えば武将、戦乱とのイメージであるが、あえて庶民の視点にたって描いているのは面白い。多少、スペクタル的な要素もある題材であるが、映画ではヒューマンドラマとの色彩が強い。

安土城は謎に包まれた城であるため、先ずはどのような城なのか興味があった。安土城は五層七階の楼閣を持つといわれた巨大建造物であるため、それの実像を映像化するのは無理と見えて映像は多少不明確であった。しかし、設計のコンペで使用された模型は、殆ど資料が残っていない現在、映画スタッフが考えた城の姿であろうが、城の全容がイメージできてそれなりに面白かった。また、京の宮大工や隆寺大工の模型も面白かった。

「火天の城」というタイトルから想像すると最後は安土城が炎上するのでないかと思っていたが、残念ながら大スペクタルを描くのは無理と見えて築城したところで映画は終わっている。

それでも、巨石を運ぶ場面などでは多くのエキストラを雇いスペクタル的な要素も精一杯表現しようと努力していたのは認める、しかし、どうしても物量映像ではアメリカ映画や中国映画などには負ける。あまり大工事のイメージが伝わらなかった。

技術的な側面や時代考証は当然行われていると思われるが、リアリティに欠ける内容も幾つかはあり、気になった。巨大な木曽のヒノキを求める姿が描かれているが、これを木曽から琵琶湖の安土まで輸送するとなると、かなりの難事業と思われるが、戦国の時代に可能であったかどうか。また、棟上の段階では巨木がかなり小さくなっていたが、あの大木をどのように製材したのであろうか。小さくカットするのであれば最初から中規模の木を求め、周囲をカットした方がよほど簡単でなかろうか。

また、木を積み上げてから大黒柱をカットする場面があるが、直感的に考えて無理という感じである。その時、木を支えるため大勢で上のものを引っ張つていたが、上のものを引くには体重以上の力を出せないし、この場合は力を出すというよりも身体を紐でしばってぶら下っているのが一番楽な方法で確実であり、科学的なことも考えて少し描き方を工夫して欲しかった。

この映画のメインはやはり工事関係者の人間ドラマであろう。特に、岡部又右衛門と田鶴との夫婦愛が随所に織り込まれているが、なかなか良かった。特に大竹しのぶの演技が良かった。その他のカップルの恋愛関係なども描かれているが、時間が短いため、感情移入というところまでは行かなかった。短い時間で多くを内容を詰め込むのは無理である。

どの映画も同じような人が起用されているが、あるドラマで強烈なイメージを持った人はそのイメージが強すぎてマイナスになることがあり製作段階で考えて欲しいものである。

技術的にはいろいろ気になるところはあるが、戦国時代の大工の姿という珍しいテーマであるため、映画はそれなりに評価できるのでないだろうか。

カテゴリー
映画

映画「剣岳点の記」の感想

この映画は陸軍参謀本部陸地測量部の測量手柴崎芳太郎が地形図作成のため、日本で唯一未登頂であった剣岳の登頂を命じられ、登山する姿を描いている。原作は新田次郎。しかし、社会ドラマというよりも、登山映画という色合いが強い。半分近くが登山風景であり、剣岳周辺の美しい風景が随所に出てくる。これがこの映画の最大の見所である。

剱岳は北アルプスの立山連峰にある山で標高は2999メートル。近くの立山の方が3015メートルと高いが、登山の難易度は切り立った岩に囲まれた剣岳のほうが断然難しいようである。現在も剱岳の岩場は、谷川岳、穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられている。

また、立山連山は修験と呼ばれる山岳信仰の対象であり、映画の中でも信仰登山する人や修験行者が登場する。その中で剱岳は「針の山」として恐れられ、登山すべき山でないと信仰されていたとのことで、測量隊の案内人である宇治長次郎の立場など登山を難しくしている背景の一つになっている。

明治時代の登山の難しさを描くため、山の遭難事故となるような事象、なだれ、落石、転落、暴風など一通り描かれている。かなりリアルに描かれており、登山の困難さを想像できる。それと、考えてみれば、人が近づかない山は道がないので、確かにルートを開拓するなど大変な気がする。当時、周辺を行き来していたのは案内人になる近くの村の人や行者だけである。登る気になればこの案内人などが一番実力がありそうである。

人間性については、測量部柴崎の夫婦愛、案内人宇治の親子愛、測量部生田の初登頂の思いなどが描かれている。

この映画のドラマ的要素として、丁度この頃、日本で山岳会が結成された時期で、山岳会の小島 烏水との初登頂との競争となることであるが、競争そのものが、ルートの発見という地味な作業のため、腹の探りあいというか静かな戦いである。それに測量部の柴崎はあくまでも登山の目的は測量という姿勢を崩さないので、あまり盛り上がらない感じである。どうも、装備はヨーロッパの最新のものを輸入している山岳会の方が優れていたようである。

さて、初登頂に関しては、これは映画を見てのお楽しみということあるが、その記念のものが重要文化財に指定され、立山博物館に展示されているとのことである。

カテゴリー
映画

映画レッドクリフ2の感想

映画レッドクリフは中国後漢末期の208年に長江の赤壁で起こった曹操軍と孫権・劉備合軍との戦いについて、史実を基に小説三国志や映画独自の解釈やエピソードを交えて描いたスペクタクル映画である。海上の戦闘シーンは迫力があり楽しめた。

レッドクリフはあまりにも長くなりすぎたので2部構成に分離され、パート1は昨年上映されている。そのパート1をテレビで見たが、正直なところクライマックスの戦闘場面が現実離れし過ぎてマンガチックに感じ、あまり面白くなかった。しかし、小説の三国志は好きで、長い小説ではあるが2度も読んだ。中国の歴史の中ではこの時代が一番興味を引かれる。その時代の有名な戦いがどのように描かれているか興味があり、パート2を見に行った。

パート2も地上戦の場面は多少パート1と同様に現実離れし過ぎている点はあるが、パート1よりはましである。海上戦の場面は納得出来るし、迫力があった。何よりも中国映画は物量がすごい、曹操の軍勢は80万、孫権・劉備連合軍は6万の戦いである。ある程度、物量がなければ描けるものでない。戦闘シーンは戦術や描き方が日本映画とはあまりにも異なるので多少違和感がある。実際にそうであったのか文化の違いによるものか定かでない。

小説の三国志では策略や戦闘の部分が多いが、これだけでは殺風景になると思ったのか、映画では孫権の妹の孫尚香や周瑜の妻で絶世の美女である小喬の二人の女性が映画独自のエピソードも交え、重要な登場人物となっている。大河ドラマなどでも脚本家が独自のエピソードを挿入することは多く、止むを得ないことか。

反面、三国志では主要な登場人物として活躍する劉備とその豪傑の趙雲、関羽、張飛などは最後の戦闘シーンで少し登場するだけであり、彼らのフアンはあまり期待しないほうがよい。予断ながら中華街にある関帝廟にはこの豪傑の関羽が祀ってある。中国でも関帝廟は多くあり、何故、豪傑の関羽が金儲けや商売繁昌の神として祀られるようになったかは不思議なところである。

金城武が演じる劉備軍の軍師である諸葛孔明は映画でも準主役級として登場する。この赤壁の戦いの少し前に劉備が孔明を望み迎えるにあたってとった礼儀が「三顧の礼」の故事として知られている天才である。この映画でも天才ぶりは十分に描かれているが、人間離れし過ぎた面があり、人物的にはあまり面白くない。

この映画の敵方の大将としての位置づけで登場する曹操は三国志では主役級の登場人物である。この曹操の機知・権謀に優れ、戦国の世を伸し上がっていく姿や放蕩的な性格は織田信長とイメージが重なるところがあり、人物としては面白い。この時期は実権は握っているが、立場は後漢の丞相である。この映画でも気性の激しい性格、機知・権謀ぶりは描かれている。また、無類の女性好きとして描かれている。

この映画の主役は誤の水軍提督である周瑜である。三国志ではこの赤壁の戦いの部分しか登場しない人物であるが、赤壁の戦いの場面となれば主役でも止むを得ないとことか。小説では、孔明を非常に警戒しているが、映画では好意的に描かれ、互いに友情をもっているように描かれている。

映画の最後に中国語の字幕が出てきたが、日本語とよく似た言葉が出てきて興味があった。現在の中国語には明治時代以降に日本人が作った言葉が多く導入されているとのこと、字幕の言葉もそのようなものがあるのであろう

カテゴリー
映画

映画「マンマ・ミーア」の感想

大ヒットした同名のミュージカルが映画化されたものである。ストリーは日本人からすると少し破廉恥な内容であるが、とにかくABBAの音楽が素晴らしく、手軽に大ヒットミュージカルを見られたので理屈抜きに楽しめた。

ミュージカル「マンマ・ミーア」は1999年のロンドン公演以来、世界各国でヒットしており、日本でも劇団四季が公演し、ロングランとなっている。現在も新名古屋ミュージカル劇場で公演されている。

ストリーはミュージカルと同じようである。シングルマザーの娘ソフィが結婚式で、父親と一緒にヴァージンロードを歩くことを夢みて、母親の日記から父親の可能性のある男性3名に母親に内緒で招待状を送ったことから、繰り広げられるどたばた喜劇というところである。関係した男性が3人いて父親が誰か分らないということになると、日本なら悲劇となるような題材であるが、この映画では全員底抜けに明るく、この現実を逆手にとって喜劇に変えている。世界ではこれが普通のことになっているのかもしれない。

場所はエーゲ海に浮かぶギリシャの小島。映画では生の音楽は聴けないが、映画のメリットを生かし随所に奇麗な風景が映し出される。また、歌う場所も海岸、桟橋、ホテルなどバラエティーに飛んでいる。そして、海に飛び込んだり、水が噴出したり映画ならではの仕掛けもあり、映画はどたばた喜劇には向いている。

平日見たので、年配者が多かったが、数組若い女性グループが見ていて、終わったあとすれ違ったが、笑いを堪えるのに苦労したと話していた。

音楽はABBAの大ヒット・ナンバー22曲が使用されているとのこと。ポップス音楽はあまり聴かないので曲としてはダンシング・クイーン程度しか知らなかったが、ABBAの音楽はどれも小気味よく映画に引き込まれるようである。映画では3組ほどトリオが登場するが中でもメリル・ストリープをメインとするおばさんトリオがよい。その老年パワーには驚かされる。メリル・ストリープの歌は特に上手いとは思わないが、ABBAの音楽に乗って歌えば上手く聞こえる。

劇団四季の公演ではアンコールのダンシング・クイーンで観客が立ち上がって一緒に歌うとことが恒例化しているとのこと。映画でもおばさんトリオが元気よく歌っていた。さすがに一緒には歌わないが雰囲気としては理解できる。

 

カテゴリー
映画

映画次郎長三国志の感想

次郎長三国志は昔なつかしチャンバラ映画の代表的な題名である。この映画も内容はともかくチャンバラがどのように描かれるのか興味があり、見に行った。結論から言うとチャンバラ映画としては期待はずれであった。

原作は村上元三「次郎長三国志」、監督は津川雅彦(マキノ雅彦)である。津川雅彦の叔父さんが時代劇のよき時代に「次郎長三国志」を撮って大成功を収めたマキノ雅弘であり、時代劇の復活を狙ったのかもしれない。この映画ではお蝶との祝言からお蝶の死、そして一家の裏切り者の久六への殴り込みまで、一代目お蝶が絡む部分を切り出して描かれているが、2時間では前後関係が分り難く、映画の中に入り込めない。消化不足気味である。

出演者は豪華であり、有名な出演者のカットは丁寧に描いている。この点は昔の正月映画などのオールスター映画のようである。この種の映画はストリーより、出演者を見せることに重点に置かれ、ストリーが切り貼りになり、面白くないのが通常である。

この映画は一代目お蝶の死をクライマックスに描かれているので、どちらかというとチャンバラより人情ドラマ。子分の描き方などは喜劇的である。そして、肝心のチャンバラは最後の方に少し、大写しで、迫力のある映像ではあるが、切り合いの内容がよく分らない。殺陣と言うには程遠い。これが、現在のチャンバラ映画か。

次郎長の面白さは水滸伝のように強い子分が集まって来る過程とべらぼうに強い集団の活躍にあるが、その点が描かれていない。また、小政や森の石松など次郎長の子分は皆強いとのイメージが出来上がっているが、彼らを単独で描いた場面ではむしろ弱い。但し、集団になるとべらぼうに強くなる。大勢の捕り方の中を少人数で切り開いたり、鉄砲一つで大勢の捕り方が引き上げたり、どうも強さの感覚が良く分らない。

昔の感覚ではよく分らない映画である。現在風にアレンジしたのであろうが、現代の若者はチャンバラ映画は見ないし、見に来ている人は老人ばかり、ターゲットとしている観客を見誤っているのでないだろうか。あまり現代化するよりは、素直に昔風のチャンバラ映画を物語の最初から数回に分けて、クライマックスに向けて盛り上げて行くように描けばよかったのでないだろうか。